今日この佳き日



     風をきって廊下を歩く。

     何もかもが懐かしく見慣れたここは、本当はもう自分の居ていい場所では無い。
     見つからないよう早足で、携帯電話をきつく握り締め、彼が居る場所へと向かった。
     カラ…と音をたてずに細心の注意を払い、そろそろと辺りを見回しながら扉を開ける。
     コートを着ているし、制服も上着の色が違うだけで、高等部と中等部のズボンの色はほぼ同じだ。
     だから多分大丈夫、きっとそんなに目立っていないだろう。
     正面のカウンタで生徒に対し貸出の手続きを行っている司書の傍を横切り、閲覧室に入る。
     期末考査の期間中なので、図書室もそれなりに盛況しているようだった。
     どちらかというと自分は別棟にある食堂で何か食べたり飲んだりしながら皆と勉強するのが常だったから、
     飲食禁止・私語厳禁体制が敷かれているここには、過去3年間のうち実は数える程しか利用したことが無い。
     そういえばテスト期間中、食堂には絶対あいつ居なかったよなあ、とそんな事を考えながら、
     きょろきょろと同じ制服を着た生徒達の中から目当ての人物を探し出す。その時、ポン、と肩を叩かれた。
      
      「!!」
      「あ、やっぱり」

     潜入した事が早速バレたのかと物凄い勢いで振り返って見ると、
     向日先輩。
     背後に立った人物は声に出さず口の動きだけでそう云って、にっこりと笑った。
 
      「驚かすなよばか!長太郎!」
      「驚いたのはこっちですよ、なんでこんな所にいるんですか?」

     これから借りに行くのか、脇に抱えた大量の本をよいしょと持ち直し、後輩が不思議そうな顔をする。
     その至極まともな問いにうっと言葉に詰まった。放課後とはいえ中等部の図書室に高等部の自分が居るのだ。不思議に決まっている。
 
      「…ちょっと、探し人」
      「日吉なら向こうの端席ですよ。窓側の」

     再びうっと言葉に詰まる。そんなに分かり易い顔をしていたのだろうか。
     鳳は、思わず固まってしまった自分を見ると、あれ、違いました?と不安そうに尋ねてくる。
     黙ったまま首を縦に振って、そうそう。と肯定すると、あ、良かった。と後輩は人の好い笑顔を浮かべ、
     そのまま本を抱えていない方の手を使ってちょいちょいと手招きをする。近づいて顔を寄せると、口に手をかざしぼそぼそと喋り出した。

      「あいつ今日誕生日じゃないですか、正レギュの部員でパーティやろうって云ったら絶対嫌だって、
      そんな暇があるなら期末の勉強さっさとやれって、もうすっごい剣幕で怒られたんですよ。俺達」
      「目に浮かぶな…」

     「そんな事」を云われた時の日吉の愕然とした表情。
     面白いくらい想像出来る。2人で肩を震わせ、声を殺して笑い合う。
     正レギュ部員内での誕生日パーティは、自分達の代でも盛んに行われていたが、
     今にして思えば、よくやったよなァ、と苦笑を禁じ得ない。よくもまぁあれだけお祭り好きが集まったものだ。

      「先輩からも何か一言云ってやって下さい」
      「分かった、任せとけ」

     胸を叩いて頷くと、鳳は一礼してカウンタへ歩いていった。
     自分もそのまま先を目指して進む。窓側の端、といえば図書室の一番隅だった気がする。
     いつものように、一緒に帰るつもりで教室で帰り支度をしている時、日吉からメールがきた。

     『調べたい事があるので図書室に寄ります。先に帰っていてください。』

     奴からのメール内容は、いつも余分なものが排除されていてとても分かり易いのだけど、愛想が無い。
     普段なら、まあ不満たらたらで「嫌だ」とか「俺も行く」とか打つところだが、今日はぐぐっと堪える。
     何故なら今日は日吉の誕生日だからだ。
     というか、お前誕生日くらい一緒に帰らせろよとまず真っ先にそう思わないでもないのだが、
     記念日はおろか日吉自身の誕生日にも全く頓着をしない相手にそんな事を云っても仕方がない(という事をこの1年で学んだ)
     ので、「了解」とメールを返信した。が、そのまま1人帰る程自分は素直でも無い。今日は絶対あいつの誕生日を祝うのだ。祝わせてやる。
     そういう訳で、単独中等部の図書室に忍び込み今に至るのだが、なかなか当の本人が見つからない。なんだか焦ってきた。
     窓側の端の席。
     鳳に云われた場所まで近づく。そろそろと、息を潜め足音を立てずに。
     最初に視界に入ったのは、突っ伏した背中。そして、まるい後頭部だった。

      「…」

     微かに、けれど規則的に上下する肩。
     ノートを拡げた机の上に両腕を重ね、曲げた二本のその上に顔を埋め、日吉は眠っていた。

      「……」

     どうしよう、と思う。
     このまま起こして日吉誕生日おめでとう何か奢ってやるよ!な展開に持っていくべきか。
     でも無理矢理起こしたりなんかしたら絶対睨まれる。嫌な顔される。なんでこんな所にいるんですかとか説教される。
     でも、でも。折角ここまで来たのだ。びっくりして貰う為に。そして一緒に帰ってちゃんと日吉の誕生日を祝う為に。
     どうしよう。ぐるぐる渦巻く思考は、けれど一生懸命どれだけ考えてもいいアイディアは浮かばず、結局諦めて、奴の隣に座った。
     長めの前髪から覗く閉じた瞳。気持ちよさそうに眠っている。起こせないよなあ、と思う。だってこんなに気持ちよさそうなのだ。
     机の上に拡げたまま放置されていた数冊のノートに目をやると、そこには、部活メニューが記された数枚の用紙と名簿が挟まれていた。

     もう引き継ぎは終わっている筈だ。それなのに。
     カサリと、それを引き抜く。調べ物はこれの事だったのだろうか。
     余りの生真面目さと日吉らしさに苦笑する。愛想の欠片も無いクセに、面倒見がいいなんて。

     用紙に書かれた端正な文字を追っていると、隣でもぞ、と日吉の身体が小さく身じろいだ。
     その拍子に、彼の手の中にあった黒い携帯電話が、指をすり抜けコトリと机上へ滑り落ちる。
     携帯電話には、去年「お詫びとして」持っていった自分のストラップが未だに付けられている。
     これを見るたびあの時の事を思い出すので、もういい加減外せと云っているのだが、却下され続けていた。
     あれから一度、機種を変えた筈なのに、ストラップだけはずっと。

      「ほんと、恥ずかしい奴だよな、お前」

     いつも無口で無愛想なだけに、こういう頑なな態度が、本当に堪らないと思う。
     同じように机に頭を、頬をつけて、腕を伸ばし頭をわしわしと撫でた。そのたびにサラサラと髪が揺れた。
     その乱暴な動作に、日吉が低く呻く。多分これで起きてしまうだろう。だけど止めない。何度も何度も撫でる。

      「…………向日…、さん…?」
      「ありがと」

     一緒に居てくれて。
     何度か瞬いた後、目を細め、眩しそうに奴がこちらを見た。
     まだ眠りから覚めきっていないのだろうか、寝起きの日吉は幼くて無防備な顔をしていた。
     よしよしと、そんな日吉を撫でながら、なんだか分からないけれどたくさんありがとうと云った。

      「ありがとなー」

     この日に生まれてきてくれて。







     
□END□