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     すっげえやっべえ可愛いと、思った事は余さず口から出てしまう困った習性を持つ彼に、
     今更何を云っても聞き入れてはくれない。それが年下の自分だったらなおさらだ。聞く耳さえ持たない。

      「やっぱ可愛いよなあ〜」
      「…」
      「肌とか柔らかそうでさ」
      「……」
      「目とかすっげえでかくて、きらきらで」

     それは照明の効果ですよ、と思わず云ってしまいそうになる口を自制心で噤む。
     机の上に所狭しと広げられたノートと教科書、カラフルな蛍光ペンに単語帳。
     明らかに試験勉強中である。そこが例え氷帝学園正レギュラー部室であっても。
     早めに切り上げられた部活の後、図書室に行くのが少しだけ億劫だった事もあって、
     ずるずるとこうして鞄の中から教材を広げてしまった自分も悪いのだが、
     俺も俺もとすぐ隣で同じように教科書を引っ張り出した癖に、あっさりと10分で脱落し、
     傍に置いてあった雑誌にお気に入りのアイドルの姿を見つけ、一人嬉しそうに騒いでいる岳人も悪い。
     と、彼の所為で集中力が途切れ、まったく勉強がはかどらなくなった日吉は思う。
     そしてはかどらなくなった理由は多分それだけでは無い。云ってしまえばささやかな嫉妬。
     彼が口にする度、嬉しそうに笑う度、認めたくないが染みのような闇が胸の中でじわりと広がる。
     自分自身それを薄々感じているから余計にタチが悪い。

     ああこの人にもう少しだけ場の空気を読める力があれば。

     望んでも無駄だしそれを承知でこうしているのだから、もう諦めるしか道が無く仕方の無い事なのだけれど。

      「日吉、日吉、お前もそう思わねぇ?」

     岳人がにこにこと満面の笑みで雑誌を広げる。
     胸の中の闇をこれ以上広げないようひたすら機械的に単語帳へ歴史の年号を記していた手が止まる。
     見るとそこには最近人気が急上昇(岳人曰く)の、守ってあげたくなるよう(岳人曰く)な可憐な少女が、
     けして派手ではない、しかしきっちりと露出部分の多い衣装を身に纏って、サービス精神たっぷりに微笑んでいた。

      「あぁ…そうですね」

     思い切り棒読み口調で返してしまい、内心しまったと思ったが、対する岳人は一瞬口角を下げただけで、
     なんだよ気のない返事だなーオイとか何とかぶつぶつ云いながら、それでも機嫌はいいのか更に話題を振ってくる。

      「俺的にはやっぱ目?この目かな〜」
      「黒目がちですよね」
      「そうそう!それで上目遣いとかされたらすげー可愛い!」
      「彼女身長何センチなんですか?」
      「………………………………」

     隣の空気がピシリと冷たく固まる。
     ページの隅にお約束のように掲載されているプロフィールを横から覗くと、
     そこには厳しい現実が記されていた。思わず顔を上げれば岳人がじっとりと恨めしげにこちらを見つめている。

      「…すみません」
      「お前…そこで謝るなよ…余計悲しくなるじゃねーか」
      「いや、本当に知らなくて。すみません……あ」

     日吉にしてみれば全く悪気は無かったのだが、云えば云う程墓穴を掘る気がして、口を閉ざした。
     そんな彼の横で、いいんだよ別に身長なんて関係ねーんだよ!と岳人がまるで自分自身に云い聞かせるように呟いている。

      「だって彼女は憧れのヒトだし。触れないし喋れないし」

     ひとしきり呟いて雑誌を閉じてしまった後は、虚空を見上げ、頬杖をついてぼんやりと。
     しおしおと殊勝になってしまった相手を横目で眺めながら、眼下の少しだけ厚い紙に正確に年号を書き入れた。

      「喧嘩も出来ないし、こんな憎まれ口も叩かないし」

     直後机の下でドカ、と音がして、脚を靴先でけっ飛ばされたのだと気づいた。
     羅列された数字から視線を外し、日吉が黙って乱暴を働いた張本人を見る。
     しかし、頬杖をついていた岳人は反省する様子も見せず、片方だけを顎の下に残し、
     そのままもう一方の腕を伸ばして、怪訝そうな面持ちでこちらを見ている彼の高い鼻梁に触れると、それを軽く摘んで抓った。

      「せっかく2人っきりだっつーのに場の空気も読めないけど!」

     怒ったような顔が間近になった瞬間、表情とは全くそぐわない柔らかな唇がぶつかる。
     勢いが良すぎて互いの歯まで触れ合ってしまうようなキスだったが、日吉は目を見開いたままそれを受け入れた。
     部室に残って自分の試験勉強につき合ったのも、わざわざ隣で気になるアイドルの話をしたのも。

     反転すればそれは全て。

     全て。

     絡まり合っていた複雑で難解な糸がこの時するりと解けた気がして、突然目の前が拓けた気がして。
     本当にこの人は馬鹿だ。そして自分も。
     気持ちを探るのが下手くそで不器用過ぎて、嫌になる。けれどそれ以上に。
     胸の中に広がる闇を覆うように生まれた安堵感と、脱力感にも似た心地よい愛しさを抱き締めながら、
     息継ぎの為唇を少しだけ離した日吉は、今度は自分から、2人きりの部室で望み通りのキスを仕掛けた。






     
□END□