気づいてしまえば全てが終わる。
だから気づかないフリを。この醜い想いを、目を瞑って耳を塞いでじっと耐えてやり過ごした。
だけど、自覚してしまったから。後はもう、きっと底無しに落ちていくだけなのだ。
「…ざ、っけんな…よ……!」
荒々しい言葉と共にドカ、と脇腹付近へ細い脚がぶつかる。
それを綺麗に片腕で受け流すと、日吉は覆い被さる身体を更に低く落とした。
「別にふざけてないですよ」
その淡々とした静か過ぎる返答を聴き、彼の下で組み敷かれている岳人がきつく睨みつける。
ふざけてなどいない、至って本気だ。
今はもう使われていない古びた部室に誘いこんだのも、そのまま押し倒したのも、暴れる両手を拘束したのも。
埃っぽい室内で、それでも比較的汚れていない場所を選んだ。拘束する物も、跡がつかないように彼の制服のネクタイで縛った。
後で向日さんが痛がったら可哀相だと思ったからだ。けれど反面痛いと泣けばいいとも思った。自分のつけた傷でその顔が歪めばいいと。
矛盾している。何もかもが。だけどもう、どうでもいい。
「こ、んな事して、…なにがたのしんだよ…」
不自由な手をそれでも無我夢中で振り回し、岳人が切れ切れに云い返す。
初めこそ彼らしく激しい抵抗を見せたが、それは長く続かなかった。スタミナ不足は健在らしい。
それでもがむしゃらに振り回した指先は、けれど目的の人物ではなくすぐ傍の棚にあたったのか、
カタ、と無駄な抵抗を嘲笑うように弱々しい音を奏でた。
岳人にしてみれば、この冷静な後輩がここまでする理由がさっぱり分からない。分からないから余計怖い。
こうして、彼に組み敷かれた事は幾度かあった。初めは死ぬ程恥ずかしかったのに、
腕の中ではもう何が起きても驚かないくらいの度胸だってついてしまった。そういう関係を結んできたのは事実だ。
けれど、日吉のこんな冷ややかで暴力的な眼差しを見るのは、初めてだった。
「楽しい…事はないかな、別に。ただ、」
ただ。微かに俯いた所為か、整った鼻筋に影を落とした日吉がふ、と云い淀む。
その間にも形勢は徐々に岳人にとって不利になる。暴れれば暴れる程頭や腕は壁や棚にぶつかり、
身体は部屋の隅へと追いやられ、あっという間に窮地に立たされていった。
逃げ場など全く無いのではないかと錯覚してしまう程、日吉の行動は無駄が無く全てが周到だ。
岳人の抵抗と夏服の薄さが仇となり、それはたやすく日吉の掌を素肌へと招いた。
無遠慮に手を差し入れ、びくりと強張る身体を弛緩させるようにゆる、と脇腹を撫で上げると、そのまま胸許へ移動していく。
少しだけ汗ばんだ肌はしっとりと、日吉の冷たい皮膚になじんだ。
「……ッ、く」
「もう偽るのは止めようと思って」
「…い……?…え、っわ…!ちょ、」
訊ねるより先に、日吉の顔がピンクの髪で見えかくれする耳に近づく。
そして、躊躇いも無くその柔らかな耳朶に緩く咬みついた。突然の刺激に岳人の身体が小さく反応する。
けれど、かたい歯の感触にあたったのは最初だけで、日吉は耳朶を口に含むと舌を使ってじっくりと舐めた。
「…や…ッ、めろ…」
顔のすぐ傍でダイレクトに聴こえる唾液の濡れた音、そして舌が這わされるたび身体の芯に生じる熱の不思議な感覚に、
岳人は必死で抗おうとするが、日吉が上からしっかりと彼を押さえ込んで逃がさない。両手は使えず、周りは壁だ。
逃げる場所はもう全て奪った。白いシャツは乱れて細やかな皺になり、日吉の目にそれはひどく扇状的なものに映った。
胸の周囲をざらりと撫で回され、骨張った指がそこに触れるたびにゾクリと肌が粟立った。
その妖しい余韻が消えるよりも早く、耳朶には熱い吐息と濡れた感触がじわりと広がる。
「やめません。もうブレーキも掛けない」
云った後の白々しさに、日吉は心の中で自嘲する。
ブレーキなんかとっくに壊れていた。頑なにその事実を認めるのを拒否してきただけだ。
きっぱりとした言葉が耳許に落ちた瞬間、岳人が小さく息を呑んだ。
日吉の空いている方の手が自分のズボンのベルト、そして前に触れたからだ。
まさか。こんな場所で。本気か、というよりも、こいつは正気か?
「ばかやろ!やめませんじゃねーだろッ、ここが何処だと……」
「旧部室。半年前に破棄され、今は物置です。鍵は部長のみ使用が可能です」
耳許で静かに囁かれる事実に、岳人が思い切り舌打ちした。
即ちこの部屋の鍵も所有権も、今目の前にいる男が握っていると、そういう事になる。
反則だろ、と怒鳴り掛けた口は強引にキスで塞がれた。それでも岳人はささやかな抵抗とばかりに無理矢理顔を背けようとしたが、
首を動かした瞬間生じた隙をついて、ぬるりと舌が侵入してきた。
「…っ…!ん、…ん〜…」
意識がそちらに逸れた事で、日吉は難なく岳人のベルトのバックルを外し、
制服のズボンの前を寛ろげると、下着の上からゆっくりとそれを撫でた。瞬間、ビク、と薄い背中が跳ねるように反り返る。
「…!!…んーっ、…ぅ、…」
非難も制止も怒声も全て熱くぬめった舌に絡め取られ、口の端から伝う唾液すら拭えない。
余りの屈辱感に、岳人はかろうじて自由を奪われていない脚を力任せにばたつかせたが、
その動きも見切っている、とばかりに片方の膝を掴まれ、そのままぐい、と大きく開かされた。
その格好の所為で更に前は触られやすくなってしまう。初めは表面に触れる程度の愛撫だったが、
次第に指は遠慮が無くなり、その動きは下着越しに緩急をつけて擦り上げるまでになっていた。
「…、…は……ッ」
唇が離れる。岳人が酸素を欲し、せわしなく荒い呼吸を繰り返す合間にも、
布の擦れる音に混ざって彼の先端から滲み始めた体液の濡れた音が耳を掠めていく。
日吉はわざとそれを聴かせるように、羞恥にまみれた相手の顔を見下ろすと、僅かに瞳を細めた。
「いいですよ、先輩」
「…い、い、…って…」
なにが、と訊こうとした口は、日吉の行動で言葉にならない濡れた声を紡いだ。
根元から先端へ一気に扱かれ、強制的に限界を迎えさせられたのだ。
「…ん……あッ…!」
「イっても。…あぁ、もう遅いですね」
自由にならない身体が彼の下でビクビク、と小刻みに震える。
その様子を眺めながら日吉は小さく笑うと、更に指を下着の中に這わせた。
ぬちゅ、と布の下で粘ついた音がして、達したばかりの岳人に強烈な刺激を与える。
「ぁ…ッ、や、やめろ…!も……」
「向日さん。同じ事を何度も云うのは嫌なんです、俺」
向日さん。名前を呼ぶ声は変わらず愛しげで静かで柔らかなのに、日吉のやっている事は非道だった。
射精したばかりで未だ反応を示さない岳人のそれを、下着越しではなく今度は直接掌の中に収め愛撫を施す。
自分の放った白濁をぬるぬると自身に塗りつけられ、容赦無く擦り上げられた。
岳人は首を振ってその感覚から逃れようとするが、熱を持ち始めた身体は奥から痺れて云う事を聞いてくれない。
「無駄ですよ、もう」
「……っ、…ぅ」
「あなたの身体なんて全部知ってます。どこが弱くて、どこで感じるのかも」
もう全部丸ごと記憶している。彼の身体をそういう風にしたのは他でも無い自分なのだから。
岳人は弱々しく嘘だ、と否定したが、本当ですよと日吉は薄く笑った。掌の中のものはゆっくりと熱を帯び、次第に頭をもたげ始めている。
いつもより反応が早い。この特殊な状況下で、彼もまたいつもとは違う変化を感じ取っているのだろうか。
そんな事を考えながら、執拗に何度も弱い部分ばかりを責め立てる。
「…っあ…だ、めだ…ッ、て…!」
小さく上擦った声と共に、岳人の眉は泣きそうに歪み、身体が再びきゅう、と硬直した。
間隔を空けながら掌に出される熱い体液を指の腹でゆっくりと擦り合わせ、日吉はその感触を楽しむ。
顔を上げると、肩で荒い息をさせながら頬を上気させ、ぼんやりと熱に濡れた岳人の瞳とぶつかった。
もう文句を投げつける気力も余裕も無いらしい。
「こんなとこで寝ちゃ駄目ですよ。向日さん」
「……ん、…だよ」
「?」
「……いつ、わるの…止め…る、…て」
日吉が微かに瞠目する。どうやら先程自分が云った言葉をまだ引きずっていたらしい。ふ、と思わず笑いが口から漏れてしまう。
なにがおかしいんだよ、とまだ熱に浮かされているのかふわふわと舌足らずな声を無視して、日吉は相手のズボンと下着を一気に引きずり落とした。
「…ッ、わ、…」
「これが終わったら教えてあげます」
「い、やだ!…ってば!日吉!」
下半身を外気に晒された事で、いかに自分が危険な状態に立たされているのかようやく理解した岳人は、
我に返って再び抵抗を再開させるが、日吉は白い体液で十分に濡れた指をそこに押し当て、
表面になじませるよう何度かなぞると、ゆっくり中へ侵入した。
「……ッ!」
「2回もイったのに、まだ嫌なんですか?」
「…ぁ…、ち、が…」
狭いそこは最初の内、指の侵入を頑なに拒んだが、日吉はたっぷりと時間を掛け、緩慢に進めては押し拡げる動作を繰り返した。
奥を開かれるという、いつまで経っても慣れない生理的な嫌悪感から逃げ出す術も持たない岳人は、身体を強張らせじっと耐えるしかない。
「……く…、…そ」
不意に意識が両手首に移った。
あれだけ暴れたのだから少しは緩んでいないだろうかと試しに何度か動かしてみたが、
微かに拘束感は弱まったものの未だ解ける気配は無い。そうしている間にも指は本数を増やし奥を拡げ、
そのたび濡れた音を響かせては、岳人の耳を絶え間無く羞恥で汚していく。
「ひ……よ…し、も…やだ…も、無理…」
吐息混じり、消え入りそうなその言葉を陥落の意と取ったのか、
日吉は中をまさぐっていた指をずるりと抜くと、そのまま片手でベルトを解いてホックを外し、力の抜けた岳人の片脚を肩に乗せた。
まだ入れてもいないのにゾクゾク、と背筋に何か妖しい感覚が走る。日吉は自分の貧欲さに呆れながらぐ、と身体を更に落とした。
「…い……ッ、…!」
ヌ、と先端が埋め込まれた瞬間、そこから強烈な熱さと痛みが岳人の全身を蝕むように突き抜けていく。
思わず歯を食いしばったら途端に、力抜いて下さいと日吉が耳許で諫めるように囁いた。
薄茶の髪がさらさらと岳人の顎のラインをくすぐる。
「痛いのは嫌でしょう」
「…じゅ、ぶん…いてーよ!ばかっ…!」
怒鳴ったら涙が出た。生理的なのか何なのか、岳人でさえもう正体の分からないものを日吉は舌で丁寧に舐めとっていく。
少しだけ動かせばつながった身体もひくんと反応した。ここまでくればもう隠せない。お互いの情欲なんて身体を通してつつぬけだ。
「…独占欲って、本当にあるんですね、向日さん」
涙の軌跡をなぞるように頬から首筋へ舌を這わすとピク、と岳人の顎が仰け反るように上を向いた。
互いの吐息で占められる狭い室内。身体からはむせかえるような夏の匂い。酸素が足りない。密着し過ぎて、息が苦しい。
「自分がこんなに嫉妬深いなんて、知りませんでした」
「ん……ッ…な、にいっ…て」
「あなたがね、他のヤツと一緒に居るのを見るだけで、変になる。おかしくなるんだ。だけどそんなの」
異常でしょ。僅かに息の上がった日吉が自嘲するように呟いた。
「だから我慢して、気づかないフリして、あなたの前ではいい後輩ぶってたんですけど」
もう無理なんです。
雑然とした呼吸しか拾わない中で、岳人の火照った耳にそんな言葉が聴こえた。
「だから向日さんに教えてあげます。こっちが本当の俺」
物凄い事を云われているような気がするのだが、
それを攪乱するように意図的に動かれ、揺さぶられて岳人の思考は定まらない。
ただでさえ今は、痛みからいつの間にかすり変わった緩い快感を逃がす事だけで精一杯なのだ。
「…んだよ、それ…ぇ…」
けれど、漠然と腹が立っていた。そんな一方的な理由で自分はこんな事をされている、のか。
本当の日吉に気づけなかったから。そして日吉は一人でそんな闇を抱えて、そんな追いつめられた瞳になるまで。ずっと。
「い、い子ぶってても、こんな、無茶苦茶やっても、お前はお前だろー…っが…!」
日吉が微かに顔を上げる。こういう反応が返ってくるのは少し予想外だった。
もう、こんな下らない醜悪な嫉妬を押さえられないくらいなら、この人から徹底的に嫌われようと、思っていたのに。
「…こんな強姦紛いの事するような男ですよ」
「だけど、お、俺が好きって思った、…ん…ッ、…日吉だろ…」
「…そんな事云わず、愛想尽かして下さい」
最後だと思ったから、滅茶苦茶に。
だけど狂ったような自分の想い全てをその華奢な身体に残してやる勢いで、だから。
そんな事を云われると。
「いやだ!」
日吉の瞳がゆらぐ。
その手を、腕を、離せなくなる。
「絶対に嫌だ!」
岳人が更に強く云い放った途端、勢い良く胸の中に抱き込まれた。
まだ身体はつながったままで、岳人は抱き竦められた状態の中、互いの境界線がひどく曖昧になっていく感じがした。
「……知りませんよ」
「…なにが、だよ…」
「もう離さないって云ってるんです。泣いても喚いても、もう」
折角逃げ道を用意したのに、鳥はまた籠の中に戻ってきてしまった。
それを安堵すればいいのか、再び傷つけてしまわないかと不安に怯えるのがいいのか、日吉にはもう、分からなかった。
「…そんなの、前から腹くくってる、っての…」
でなきゃ男の後輩相手にこんな事をさせる訳が無い。
他でも無く誰でも無い日吉だから、こんな暴挙だって受けるのだ。自分が選んだ相手なのだから。
云いながら、岳人は両手首が軽くなっている事に気づいた。
ゆる、と左右に動かしてみるとそれだけでネクタイは簡単に解け、それは床にくたりと落下する。
ずっと頭の上で拘束されていた所為で、肩から両腕にかけて全体的に痺れていたが、そろそろと腕を下ろす。
ひとまず一発殴らねば気が済まないとも思ったが、掌は自然に日吉の背中に流れ、彼を抱き締め返していた。
■end■