愛してるんだよ、つたわるかい



     「向日さん、指がつめたい」

     ふ、と頬にかかるくらい近い距離で小さく囁かれて、だけど何も云い返せなかった。
     面白いくらい全身が緊張でがちがちだ。試合の時だってこうまでならない。実は指先は震えてだっている。
     日吉は多分、分かってる。分かってるけど、流石にそこまではつっこまなかったのだろう。
     普段なら日吉に触るとその体温の低さに驚くのに、今日は全てが逆転していた。
     いい加減正座は崩して下さい、と日吉は指をそっと撫でながら呟く。その言葉の端には笑みさえ漏れて。
     明かりの落とされた、敷かれた布団の、そんな上でさっきからずっと馬鹿みたいに正座をしている自分の緊張を
     なんとか解きほぐそうと奴は奴なりに色々と声を掛けてくれているのに、そんな言葉も耳から全部素通っていった。
     さんざん遠回りをして、気持ちの正体を突き止めて、互いを特別だと思えるそういう関係になって。
     キスだってもう、たくさんした。息が出来ないくらい強く抱き締められたりもした。だから。
     もっと深く知りたい、それこそ頭の上から爪先までまるごと全てを。
     日吉は云った。自分も嫌じゃなかったから頷いた。頷いたから今ここでこうしている。だけど。

     「…あったかくならないな」

     ひとりごちるような言葉と共に、ふわりと温かなものが肌を包む。
     指はいつしかすっぽりと日吉の一回り大きな掌に収まっていて、はあ、と息をそこに吐き出されていた。
     崩して下さいと云っておきながら、自分と同じように正面にきちんと正座している。真っ直ぐな姿勢は暗くても分かる。
     馬鹿だなあ、と緊張でがちがちで余裕も全然無いクセにふとそんな事を思う。律儀にこうして自分が落ち着くのを待ってくれるなんて。
     本当に馬鹿だ。本当にまるごと全部欲しいのなら、力づくで奪い取っていってもいいのに。その特権が、日吉にはある。
     抵抗したって、嫌だって云ったって。そんなの無視して。それなのに。

     「だ、いじょうぶだ。日吉、」

     心配させまいと頑張って口を開いたら、全然大丈夫じゃない上擦った声がからからになった喉から出た。
     なんだ。なんなんだ。普段の自分の豪気さはどこへ行ったんだ。戻ってこい男前な俺。
     そんな内心のパニックを見透かしたように、日吉がそっと顔を近づけ訊いてきた。

     「本当に?」
     「本当に!」

     力いっぱい首を縦にうんうん頷くと、薄い暗闇の中で微かに動く気配。
     衣擦れの音にビク、と身体が反射する。未知の恐怖に逃げ出したくてたまらなくなる。
     なんで。目の前にいるのは日吉なのに、なんでこんなに自分はその一挙一動に怯えているのだろう。
     その矛盾に訳が分からなくなった。分からないまま、日吉の顔が更に間近になった。唇に触れる別の体温。

     「……ッ」

     心臓がどんどんと大きくなる。耳の奥はその音だけで占められる。
     思わずぎゅうっと両目を瞑ってしまうと、体温はすぐに離れていった。
     おそるおそる瞼を上げれば、なんだか、何とも云えない表情をした日吉がこちらを見ていた。

     「怖いんでしょう、俺が」
     「ち、違う!」

     慌てて否定する。怖くない。だって日吉がいつもするキスなのに。
     切り揃えられた、少しだけ長めの前髪から覗く瞳はやっぱり何とも云えない。
     そんな表情をさせてしまっている自分に、すごく腹が立った。そして奇妙に悲しくなった。

     「怖い思いは、させたくないんです」

     だから。
     手を握ったまま日吉は告げる。今日はこのまま寝ましょう。
     うんと従えばいいのか、嫌だと突っぱねるべきなのか、この場合どちらが最良なんだろう。
     頭の中では目の前に座っている男が大事で大事で馬鹿みたいに大好きだって思っているのに、
     身体は怖くて怖くて仕方がないとその気持ちを裏切るように動く。なんでだろう。なんですっきり統一出来ないんだろう。
     長い間じっと俯き固まってしまっている自分を心配したのか、向日さん?と日吉が遠慮がちに声を掛けてくる。
     その声に応じるように視線を上げると目が合った。途端にいたたまれなくなり更に立ち上がろうと両膝に力を入れたら、
     痺れていたのか見事くにゃりと体勢が崩れ、驚いてすぐ手を離し、代わりに両腕を差し出した正面の日吉に抱き留められた。

     「大丈夫ですか?」
     「ごっ、ごめん!もー、ほんと…」

     いろいろとごめん。
     肩口に顔を埋めながら、ぽつりと小さく呟くと、そのままゆっくり頭を撫でられた。
     なんでこう大切なところでこんな間抜けな事になってしまうのか、
     今になって急にじんじんと痺れ出す両足の鈍い刺激に唇を噛み締める。本気で自分の不注意さが恨めしい。

     「…こっちこそ、急かしてしまってすいません」

     日吉が答える。いや、絶対悪いのは自分の方だ。いや違う。
     腕の中で何度かそんな応酬を繰り返したが、結局決着はつかなかった。お互い頑固なのだ。
     こうして抱き締められているとTシャツ越しに日吉の体温と規則正しい鼓動が伝わってきて、
     あれだけがちがちと強張っていた全身から力が抜けていくのが分かった。そんな自分の変化を日吉も感じ取ったのか、
     ゆるゆると安堵するような吐息が耳の傍で聴こえる。自分の事だけで精一杯だったから、気づかなかった。
     日吉だって、緊張していたんだ。きっと。

     「…こ、怖くなくなるから。絶対」

     今すぐに、とは云えないのがどうにも歯がゆかったが、だけどその言葉に嘘も迷いも無かった。
     だってもう、指先まで熱は伝わったから。撫でる日吉の掌と、同じくらいに温かいから。






     
□END□

     

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