金曜午後のロマンス



     乾いた風に身を任せ、すっきりと青い秋晴れの空を切り取るように伸びていく飛行機雲を見上げていると、
     すぐ隣でなあなあと情緒をぶち壊す騒がしい声が聴こえてきた。日吉は微かに眉を顰めながら、ちらりと声の主に視線を遣る。

     屋上、である。

      「お前さ、何でたまご食べれないの?」

     本日、家から持参した弁当の中身が蓋を開ければ少し心許なく、
     これは部活まで持ちそうにないと判断した日吉は、左手首に巻かれた腕時計をそっと見た。
     昼休み、最全盛の人だかりが予想される購買エリアに、出来れば足を踏み入れたくは無かった。
     しかしそうも云っていられない。しばらくの間悩んだが、結局放課後の過酷なスケジュールを考え、席を立つと彼は教室を後にした。
     そして予想を裏切らない人垣の中で、ばったりと岳人に出くわしてしまったのだ。
     数々の戦利品を両手に抱えた岳人は、余りの人の多さに呆然と立ち尽くす日吉を見かねて声を掛けると、
     ついでだからと注文を聞き、人波をぬってパンを買ってきてくれた。
     思わぬ助けに感謝した日吉だったが、ありがとうございます、と戻ってきた岳人の手に代金を渡し紙袋を受け取ろうとしたら、
     何故かひょいっと腕を掴まれてしまった。

      「?」
 
     「ついでだから屋上までつき合え」
 
     「は?」

     詳しく訊き直す暇も与えず、岳人は悪戯を思いついた子どものような笑顔を浮かべ、ぐいぐいと日吉の腕を引っ張っていく。
     一方的で有無を云わせない強引さにうっかり流されそうになったが、食堂を出てテラスを抜け、屋上へと続く階段を上がり掛けた頃、
     ちょっと待って下さい、弁当教室なんです。とストップをかけた。その声にようやく歩みを止めて振り向いた岳人は、
     じゃあ屋上で待ってるからな。とあっけらかんとした様子でそう返してくる。
     どうやら彼の頭の中では、後輩の都合よりも屋上で昼食をとる事が再優先で決定されているらしい。
     日吉は何か釈然としないものを感じながら、けれど断る決然とした理由も見あたらない為、
     結局教室へ戻った後、弁当を持って岳人の待つ屋上へと向かったのだった。

      「前、トレードしたじゃん。嫌いなの?たまご」

     質問している岳人の手には、しっかりと食べかけのたまごサンドが握られている。
     白いパンからはみ出ているふわふわとした黄色を目を細め眺めながら、日吉はまあ、はい。と曖昧な返答をした。

      「マジでか!なんでー?こんなウマイのに!」
 
     「…いや、その」
 
     「アレルギーとか?身体が受け付けねーとかそういうの?」
 
     「あの…」
      「俺の親戚のおっちゃんにもいるぜ。蕎麦アレルギーなんだって」

     とりあえず、食べるか喋るかどちらかにして下さい。
     云い掛けてはぶつぶつと言葉を寸断される日吉は心の中でそう思ったが、
     云ってもきかないのがこの先輩の大きな特性なので、ひとまず箸を止めじっと待った。
     岳人は蕎麦アレルギーだという親戚の症状をひとしきり話し終えると、
     ようやく満足したのか残り一口になっていたたまごサンドの欠片をぱくりと口に放り込む。

      「アレルギーとか、そういうものでは無いです」

     訂正するように切り出すと、岳人がパンを頬張ったまま眉を寄せ、不思議そうに首を傾げるジェスチャーをした。
     じゃあなんで?という事なのだろう。日吉は少しだけ返答に詰まったが、
     今答えなければきっと延々訊かれ続けるような気がして(現にあのトレードだって数ヶ月前の出来事なのだ。彼の記憶力は侮れない)
     空になった弁当箱に蓋をしながらぽつりと低く前置きした。

      「…笑わないで下さいよ」
 
     「なになになに!」

     すごい喰いつきようである。そんなに期待する程面白くも無いのだが。

      「あたったんです。小学校の時」
 
     「たまごに?」
 
     「はい。欲張ったバチが当たりまして」

     欲張るくらいたまご好きだったのか!と岳人が笑う。
     笑わないでくれと云ったのに、まあ云われて守るような人では無いとは十分承知しているけれど。
     そんな事をやれやれと思いながら日吉は弁当箱をきゅ、と包み終えた。

      「卵、好きだったのは兄ですね。俺はその日じゃんけんで兄に負けて道場の掃除をやらされてたんです」

     稽古日でない時は兄弟が分担して道場の後片づけと掃除を行う。
     後片づけは良しとして、冬の寒い日に雑巾がけをするのは子ども心にとても苦痛だった。
     稽古で十分に身体が温まっていても、雑巾がけを何往復もすれば、指や素足からどんどん冷たさが染み込んでくる。
     そして出来れば避けたい掃除当番を、公平をきして行ったじゃんけんで負けた日吉は、担わなければならなかった。

      「あ〜、演武!」
 
     「古武術です。で、負けた腹いせに冷蔵庫に置いてあった兄の好物の卵焼きを全部」

     平らげたら、ものの見事にそれがあたった。
     自業自得だと父には叱られ兄にはやたら心配され、あの時の情けなさと苦しみと惨状は、
     幼心に二度と卵など食うものかとかたく誓わせる程強烈なものだった。ある種トラウマである。
     そしてその誓い通り、日吉はあれから今まで卵を口にした事が無い。

      「つまらない理由なんですけどね」
 
     「全然!すげーな。ちっちゃい頃の日吉もやっぱ日吉なんだなあ!」

     なんですか、それ。と眉を顰めると、
     隣に座っていた岳人は最後に残してあったメロンパンの袋を破り、にかっと笑った。

      「負けず嫌い」
 
     「……」

     図星を指された日吉が、黙ってペットボトルのお茶を飲み干していると、
     負けず嫌いはいいことだぞーと横で楽しそうな声がした。
     後輩の知られざる秘密を聞いたのが嬉しいのか、岳人はとても機嫌が良かった。

      「じゃあ今でもたまご無理?」
 
     「そうですね、多分。今もこれからも」

     ペットボトルをことりと地面に置き、淡々とそう答えると、突然視界に鮮やかなピンク色の髪が入った。
     岳人がぐっと距離を詰め、顔を近づけてきたのだ。小動物のように大きな瞳がじいっと日吉を見つめる。
     ふわりと、メロンパンの甘い匂いが鼻先をくすぐった。

      「もし、俺が絶体絶命のピンチで、その時お前がたまごを食わなきゃ助かんないとしたら?」

     なんですか、それ。
     日吉は本日二度目であるその言葉を云おうとしたが、少しだけそんな不可思議な状況を思い浮かべてみた。
     5秒後、その有り得なさに思考を中断させた。

      「…それは、その特殊な状況に陥ってから考えます」

     それを聞くと、切り過ぎた前髪の下にある眉毛はみるみると八の字になり、岳人の顔が分かりやすく変化していく。
     そして、その回答はおもしろくねーぞ!とひとしきり喚いた後、体勢を戻し残っていたメロンパンをさくさくと食べ始めた。
     そんな少しふくれ気味の彼の横顔を、自分の膝で頬杖をつき眺めながら日吉は思った。
     面白くないなら構わなければいいのに。自分の気に入る答えが欲しいのなら、他の人を選べばいい。
     それなのに、わざわざあんな人混みの中に再び飛び込んで、パンを買ってきてくれるようなお人好しぶりを発揮したり、
     そうかと思えばこちらの都合も聞かずに無理矢理昼飯につき合わせ、屋上に連れてくるような傍若無人さで振り回したり。

     本当に、変な人だ。

      「……白身なら」

     たっぷりとした時間差を経て呟かれた日吉の一言に、最初はきょとんとしていた岳人だったが、
     程なくその意味を理解して弾けるように笑った。






     
□END□

     

     タイトルはお題サイト・リライトさまから