幸福な午睡(DSサイドキングネタ/跡部・日吉・岳人が同じチームです)



     日吉は我が目を疑った。
     生い茂った木々の中から、足が二本、にゅうと突き出ている。
     与えられた昼休憩が終わりにさしかかろうとする頃、宿舎内へタオルを取りに一旦戻った日吉は、
     午後の練習が始まる前に軽くアップをしておこうと、長々と続く金網で隔たれたコートの脇を緩くランニングしていた。
     その途中で、そんな気味の悪い光景に出くわしてしまったのだ。さすが全国の精鋭中学テニス部員達を招集するだけの事はあり、
     用意されたテニスコートは面数も整備も完璧なのだが、敷地がやたら広いだけにこうして少し中央を外れた場所には、
     未だ刈り取られずにたっぷりと植物が生い茂っているのもまた事実だった。
     故に各学校のマネージャー達は自分達選手の管理よりも草抜きに精を出す時間の方が多いらしいと以前聞いた事がある。

     それにしても、だ。
     日吉はこくりと息を飲む。不思議なものには密かに目がない性分なのだが、
     実際こんな妙なものを目の当たりにすると内心かなり驚く。一瞬何事かと少しだけ混乱して、しかし連日続くこの炎天下だ。
     もしや誰かが倒れているのではと思い直し、がさがさと深緑に囲まれた繁みに分け入った。
     青臭い匂いと共に絡まる幾重もの細い蔦を腕で払って避けながら奥へと踏み込む。そして再び日吉は我が目を疑う事になった。
     二本の突き出た足の主は、自分のチームメイトにして先輩の、向日岳人だったからだ。

      「向日さん?」

     仰向けになってかたく目を閉じている彼の背中の下には、短い雑草が敷き詰めるように生えていた。
     樹木から垂れ下がる枝葉の所為でここは外の強い陽射しも届かなかったが、気を失っている可能性も捨てきれない為、
     日吉は彼の傍に膝をつき、名前を呼んではぽんぽんと軽く肩を叩く。

      「ちょっと…向日さん、大丈夫ですか?」
 
     「…………う」

     何度目かの呼び掛けに、岳人の眉根が薄く寄る。
     しばらくして微かに睫毛が震え、ゆるゆると緩慢な動きで瞳が開かれたが、
     ぼんやりと鈍い光を滲ませたまま数回まばたきを繰り返した後すぐにきゅう、と閉じられてしまった。

      「向日さん!?」
 
     「うるせーな…なんの、騒ぎだ…」

     しかし、ふわあ、とあくび混じりに返ってくる、眠気を含み語尾の掠れた言葉を耳にした途端、
     傍で片膝をついていた日吉の全身からずるずると緊張が抜け落ちていった。
     良く見れば、ジャージの上着は彼のピンク色の髪の下に枕代わりとして丸まって敷かれている。
     急に気分が悪くなって倒れたならばこんな芸当は出来ないだろう。
     眠そうにごしごしと目を擦る岳人を横目に捉え、日吉は溜め息を吐いた。単に、彼はこの場所で昼寝をしていたのだ。

      「……って、あんたなんでこんな妙なとこで…」

     これでは、真剣に驚き心配した挙句、何度も必死で声まで掛けた自分がまるっきり馬鹿みたいだ。
     途端激しい羞恥と後悔が自分の身体の奥底から這い上がってきて、いたたまれなくなった日吉は脱力したまま俯き、
     視線を合わせず低い声で非難がましく呟いた。

      「ジローがさ、云ってたんだよ。木陰で寝ると気持ちい〜んだって」

     元々寝起きの良い岳人はこの短時間で完全に覚醒したのか、
     上体を起こし、首を回したり背筋を伸ばしたりしながら、日吉の問いにジローの口調を真似てそう答える。
     気持ちがいい、って。無言で注がれる疑わしげな後輩の視線に気づいたのだろう、岳人は自分の膝を抱えると大きくうんうんと頷いた。

      「信じらんねーだろ。俺も思ってたんだって。いくら日陰でも暑いしむしむしするだろって」
 
     「はあ」
 
     「でもなんか、この温度と感触が気持ち良くて、気づいたら寝てた」
 
     「…はあ」

     ふっしぎだよな〜と岳人は草の上に再びごろんと仰向けになった。
     鬱蒼と繁る樹木の所為で、空はいびつな形に切り取られているように見える。

      「お前も寝てみ?」
      「は?」

     突然の誘いに日吉が胡乱な声を出したが、岳人は気にせずほれほれと空いている隣を指差した。
     しかし地面が草に覆われているとはいえ、こんな良く分からない場所に自分の背中を押し付けるにはかなりの勇気が要る。
     それ以前に、時間が気に掛かった。腕時計は専用コートの方に置いてきた為、正確な時間は分からない。
     しかし自分の感覚が正しければ、そろそろ午後の練習が始まる頃だ。

      「遠慮しますよ。午後練始まりますし」
 
     「いーじゃん。つか、昼からダブルス練習だから、お前俺が居ないと練習出来ねぇぞ」
 
     「一人でやります」

     うわっ暗っ!と大袈裟に反応するお気楽な先輩をあっさり無視して、
     日吉はこの場からさっさと去る事を決め立てていた膝に力を込めた。
     しかし、姿勢を変え彼に向けた筈の背中に少しだけ真面目な声がぶつかり、動きが止まってしまう。

      「最近夜、あんま寝てねーだろ」

     ドキリとした。ゆっくり振り返ると、声の主は寝転がったまま眩しげに目を細めこちらを見ていた。
     その視線を真正面から受けた日吉は返答に詰まる。確かに、睡眠時間が十分足りているとは自分でも思えない。
     日吉は深夜の練習を一週間前から続けていたからだ。マネージャーの組むメニュー内容や練習が不満なのではない。
     始めたきっかけは、跡部の個人練習につき合ってからだった。
     新しいスマッシュを試したいから相手をしろ、と跡部に云われた日吉は、
     しかし練習中に一度として彼が放った打球を返す事が出来なかった。追いつけない、弾かれる。
     速度も威力も敵わない。分かってはいたけど、理解していたつもりだったけれど、手も足も出ない自分が、腹が立つ程悔しかった。

      「跡部の球打ち返すのもいいけど、この合宿のメインはJr.カップ優勝なんだから、そこんとこ間違えんなよ」

     深夜練習の事はチームの誰にも云っていない。
     皆が寝静まった頃を見計らって一人でこっそり宿舎を出てきているのだから。
     しかし、いつも一番先に眠りに落ちては呑気な寝息をたてている岳人に、気づかれていたなんて。
     驚きを隠せない日吉は、それでもなんとか言葉を探したが、口に出せば全て言い訳がましくなってしまうような気がして、
     結果はぁ、と再び大きな溜め息を吐いた。立ち上がろうと力を込めていた膝を戻し、体勢を変えると観念したように岳人の隣に腰を降ろす。

      「お、寝っ転がる気になったか」
 
     「寝ませんよ。こんな地べたなんかに」

     ただなんだか力が抜けて。

      「…あんたにつき合うとロクな事が無いな」

     他校合同の強化合宿にもかかわらず、よりにもよってまたこの人とダブルスを組むはめになって。
     あくまでもシングルスにこだわりたい自分にとって正直初日から気分が乗らなかった。
     しかしそんな気持ちは連日行われるダブルス練習で強引に振り回される内次第に吹き飛び薄らいで、
     常に笑顔でチームを盛り上げるこの人の傍に、いつしか練習以外でも居る事が多くなった。
     最低限のつき合いを、心に決めていた筈なのに。不測の事態に柄にもなく心配をすればそれは呆気なく徒労に終わった挙句、
     反対にこちらが心配されていた、なんて。本当に、どうしようもないと思う。

      「分かってんならつき合うなよ。お人好しだなー」

     岳人がのんびりと楽しそうに笑う。
     一番、自分とは縁遠い言葉を彼に云われて日吉は再び奇妙な気持ちに陥った。
     お人好し。それはこちらの台詞だ。おちゃらけている反面本当は後輩の様子をきちんと把握し、
     度を越えそうならささやかな助言をして。目に見えない部分できっちりと支えている。支えられていた。

      「あんたに云われたくないですよ」
 
     「そーかー?まぁちゃんと寝とけよ」

     平和な声でそう告げて、岳人は大きなあくびをした。
     いつもコートで暑いむかつくと怒り散らしている彼とは思えない反応だった。
     これも快適な自然の日除け効果なのだろうか。余りの緊張感の無さに日吉は少しだけ脱力したけれど、
     何故か不快な気持ちにはならなかった。そっと顔を上げ、息を吸う。途端に瑞々しい空気が肺一杯に広がる。
     瞳を閉じて耳を澄ませば遥か遠くからはボールの打球音が微かに響き始めていた。きっと各チームの午後練習が始まったのだろう。
     行かなければ、と焦る反面もうしばらくここに座っていたい、とも思う。自分の中に生まれた奇妙な葛藤に、日吉は内心苦笑する。
     なんという皮肉だろう。この人につき合うとロクな事が無いというのに、この人の傍にいると楽になれる自分を、見つけてしまった。

 

 

     □END□