burlesca



チームの為に全力を尽くす程真面目ではないが、欠席する程不真面目でもない。
日吉にとって体育祭という行事は、中等部に入ってからずっと、そういう位置づけだった。
勝負事は好きだし、倒すべき相手がいれば、そしてその相手が自分よりも強ければ強い程、本能がざわつき熱くなる。
しかし、そのような自分の気質を刺激するには、この氷帝学園の体育祭は規模が大き過ぎた。
チームは学年混合で赤・黒・白の3組に分けられ、対抗で優勝を狙う。
日吉は昨年跡部と同じ黒組で、優勝を経験していた。そして今年は白に分けられている。
部活内では、滝や忍足が同じく白組に属していたような気がするが、確認していないので詳しくは良く分からない。
そもそも、この夏部活を引退した彼らは一部を除きそう頻繁に部室へと現れなかったし、
それ以上に、まず運動場に溢れる生徒数が多過ぎて誰とすれ違ったかも判別出来ないくらいなのだ。
現に日吉は朝のHRを終えて外に出た直後、同じクラスの友人とはぐれ、一向に見つからないまま午前の部が終了し、そして今に至っている。
人混みが余り得意ではない日吉にとって、こういう面でも体育祭という行事は好きでは無かった。
早々に、運動場から少し離れた人気のまばらなテラス脇のベンチに陣取った日吉は、
体操服のズボンに突っ込んであったくしゃくしゃのプログラムを取り出して、競技の順番をざっと確認する。
基本的に、氷帝学園の体育祭で行われる競技は、
最終競技で一番の目玉であるチーム対抗リレーを除き、生徒の立候補かくじ引きで出場する選手を決める。
騎馬戦や障害物リレーなど、華のある競技に関しては人気が高く、またチーム対抗で競う為ほぼ立候補で出場枠が埋まるが、
マスゲームやフォークダンスなど、直接チームの点数に関係しないものは出場者の集まりが悪いので、
平等を期して厳正なるくじ引きによって選手が振り分けられる。
日吉は雲の合間から顔を覗かせた太陽の陽射しを厭うように、プログラムを額の上に翳すと、はあ、と小さく息を吐いた。
昼休憩を挟み、午後の部が始まってから既に4つの競技が終了している。
乾いた風に乗って聴こえてくる白熱したアナウンスによれば、今はチーム対抗綱引きが行われているらしかった。
耳を傾けると、黒と赤が接戦を繰り広げているようだが、おそらく赤が勝つだろう。確か赤組からは樺地がエントリーしている筈だ。
乱雑に折り畳んだプログラムを元の場所に仕舞い直した日吉は重々しくゆっくりとベンチから立ち上がる。
綱引きが終われば、彼が出場権を引き当ててしまったフォークダンスが始まるのだ。
額に巻いた白のタスキを結び直しながら、日吉は待機場所で時が来るのをひたすら待つ。
よりによってフォークダンスに振り分けられるとは。自分が一番興味の無い、そしてチームにも全く貢献しない演目に。
こんなことなら適当に何種目かエントリーしてさっさと逃げておけば良かった、と今更後悔しても既に手遅れだった。



 「でね、……なんだって」
 「え〜うそ!」

横に並び、同じく待機している女子生徒たちが少し興奮気味に話をしている。

 「今年は跡部様出ないし、なんか盛り上がらないよね」

話に花を咲かせていた、黒のタスキを巻いた方の女子生徒が残念そうに眉を寄せる。
そういえば昨年の体育祭では、あの人フォークダンスに出て女子生徒が彼のいる輪の方に殺到していたな。
日吉は記憶を手繰らせて、派手に立ち回っては生徒達を盛り上げる一年前の跡部を思い出し、密かに苦々しく笑った。
二年で既に黒組のリーダーを務めていた彼は、今年は赤組筆頭を務めている。

 「あ、始まるみたいだよ。誘導来た」

入場を促す音楽が流れ始め、くすくすと笑いながら、女子生徒たちは連れ立って前へと歩き出す。
日吉もそれに倣って歩みを進めた。顔を前方に向けると、不意に視界が少し離れたところを姿勢良く歩く、見慣れた長身の後ろ頭を捉えた。
両目を細める。黒いタスキ。鳳だ。しかしこちらに気づくより先に、鳳は一つめの大きな輪を形成する要員として真っ直ぐ歩いていってしまった。
日吉はあえて横に逸れ、二つめの輪の方へと進路を変更する。学年別のダンス練習で顔を合わせてはいるのだが、
彼に気づかれると満面の笑顔で名を呼ばれ手を振られるという傍迷惑なオプションが必ず付いてくる。
練習時にも辟易したそれを当日にまで行われるのは、正直避けたかった。
運動場に作られた生徒たちの輪は大きく5つで、チームも学年も混ざり合っている。
一回目のホイッスルが響くと、大きな輪は男女に分かれ二列へと変化する。これだけ生徒数が多いと当たり前だが初めて見る顔ばかりだ。
自分のパートナーを見下ろしながら、醒めた頭で日吉は思う。しかしこれがきっかけで仲良くなる男女も中には存在するらしい。
そういう意味でこのフォークダンスは学園の重要イベントなのよ。
と、体育祭用の新聞を作成しながら一級上の報道委員長が力強く話してくれたのは、先週の事だ。
傍らで彼女のノートパソコンを通してプリンタから吐き出された書類を整理していた日吉が、
ある意味未知との遭遇ですか、と興味無さげに返したら、いいえて妙だわと笑われた。
一瞬の沈黙の後、軽快な音楽がスピーカーから流れ始める。
それを合図に両者互いに礼をして、日吉は差し出された女子生徒の手を取る。
練習で何十回と繰り返した動作は、日吉にとってそれ以上でも以下でもなく、ただ淡々とこなす為のものだった。
音楽が変わればステップやターンも若干変化するが、基本的には異なる相手と延々ループを繰り返す。練習時よりも人数が多い為、曲はなかなか終わらない。
ようやく半周にさしかかった頃、さすがに飽きてきたな、と日吉は内心ひっそりと退屈を持て余し始めていたが、
前方の生徒のダンスの流れが微かに乱れていることに気づいた。相手をターンさせながら注意を向けるが、人の頭で良く見えない。
テンポがおかしくなっているのは自分の側ではなくどうやら相手側のようだから、致命的に下手な女子生徒でもいるのだろうか。
握っていた手を離し、足を踏み込み次の相手に頭を下げる。顔を上げた瞬間日吉の身体が固まった。
斜め前方の女子生徒側には、自分と同じくかちんと固まっている、黒のタスキを結んだ向日岳人が、大きな瞳を更に開いてこちらを見ていた。

 「な……」

なんであんたここにいるんですか。
驚きと共に口に出し掛けた言葉は、瞬間岳人にジロリと睨みつけられ途中失速する。
そのままくい、と女子生徒の方に顎を向けられ、パートナーの存在を思い出した日吉が慌てて手を取る。
背中を向けた途端後方では男子生徒の小さな呻き声と、わりい!と謝る岳人の声が聴こえてきた。
乱れの主はこの人だったのか。というか何故女子側に紛れ込んで踊っているんだ。意味が分からない。
上の空のまま、女子生徒と別れ正面にやって来た岳人と互いにぎこちなく、礼を交わす。
少しだけ俊巡したが、結局そのまま片手をぶっきらぼうに差し出した岳人は、まるで天敵に見つかったかのごとく眉を寄せ、
最高に居心地の悪そうな表情を浮かべながら小さく口を開いた。

 「欠席で女子の数が足んねーの!だから急遽背の低い運活の俺が参加!わりいか!」

質問するより先に見事に全てを説明した回答が返ってきた。
ああそういえばこの人運活委員だったな、と、日吉は岳人の着ている体操着の半袖の端に留められたクレマチスを象ったバッジに目を遣る。
体育祭の運営や進行を学園側から一任される運活委員会の仕事の多忙さは凄まじいと噂には聞くが、突発的な人員補充もこなすのか。
乱暴に突き出された手を取りながら、日吉はいえ、と否定した。

 「別に悪くはないですけど、少し」
 「少し?」

日吉にエスコートされ、ぎくしゃくと身体を預けながら岳人が語尾上がりに反復し、続きを促す。
しかし意識がほとんど彼の言葉に移ったせいで、ステップが乱れて、盛大に日吉の足を踏みつけた。

 「い…ッて」
 「うわ!ごめん」

そのままがたがたに崩れそうになる岳人の身体を咄嗟に支え、
なんとか立て直した日吉は、岳人の方に顔を寄せるような体勢になった。

 「少し…、いえ、なかなか愉快です」
 「お前なぁ」

切り揃えられた髪から覗く耳が僅かに赤くなっている。そんな些細な変化が分かる程、接近している。
日常生活においてこんなにもこの先輩が自分の近くに来ることなど無いから、妙な気分だった。

 「もっかい踏むぞ!」
 「今度はちゃんと避けますよ」

ご心配なく。そう付け加えながら、日吉は手を握る力を少しだけ強くするとそのまま岳人をくるりとターンさせた。
小柄だとはいえ女子と違いやはり軸がしっかりしている為、軽やかにはいかない。というか未だ女子パートの振りに慣れていないだけなのか。
わわ、と小さな驚きの声を漏らしたまま、岳人はよろめきながらも一回転し、日吉の鎖骨あたりにごちんと額をぶつけた。
瞬間、タイミング良く音楽がそこで途切れた。

 「いってえ……」
 「未知との遭遇」

ゆっくりと手を離し、終了後の拍手をおざなりに叩きながら、
日吉は額を押さえ痛みに耐えている岳人を見下ろした後、視線を本部のある豪奢な作りのテントの方に向けてぽつりと告げる。
何故かこの時、忘れ去っていた会話の続きを思い出したのだ。放課後の委員会室で、しかもこの演目にはベタなジンクスがあってね。
委員長はパソコンのキーを叩きながらそう続けた。彼女が語った、学園でまことしやかに囁かれているジンクス曰く、
フォークダンスの音楽が終了した時点で手を繋いでいたパートナーが、今後仲良くなれる相手、なのだそうだ。

 「…しかしこれは、未知過ぎる」
 「はあ?」

さっぱり意味が分からない、という風に眉を八の字に寄せた岳人が先ほどからぽつりぽつりと降ってくる不可解な言葉に顔を上げたが、
無愛想な後輩は彼を見ないままなんでもないです。と小さく肩を竦めた。伝承も怪談も七不思議だって迎合する。
ジンクスだって例に漏れず、それは時として魅力的ではあるけれど。だからといって身をもって検証するには、
自分はよりにもよってとんでもないものと遭遇してしまったようだ。

 

 

□END□