例えば そう

人はこれを不幸な恋と呼ぶかもしれない。



休み時間の廊下でスレ違う。
お互い一人で歩いていた、場合。

先ず最初に交差するのは、視線。
レンズを隔てても変わらない、その真っ直ぐな。

想い。

次に、正面まできて交される、なんて事ない挨拶。
偶に片手を上げて意思表示するだけの時も。

 「おはよう、手塚」
 「ああ、おはよう」

互いの顔を数秒間見つめて、そして視線を外す。
それじゃあ、と軽く別れの挨拶をしてから、また別の道へ歩いていく。

身体と身体がスレ違う、ちょうどその時。

触れ合う、手と手。

必ずどちらかが仕掛けるのが、暗黙の了解。
互いに、余り表情を気取られない性質なので、誰も気付かないし、何も思わないのだろう。



そんな、秘めた恋を、
俺と手塚は、もう長い事続けている。



 「…これも一種の才能なのかな」

場所は生徒会室前。
放課後に行われた委員会の後、少し話したい事があってこの扉を叩いた。
珍しく皆出払っていて中には会長ただ一人、各委員会から提出された書類を黙々と片付けている最中だった。
ノックの音がして「どうぞ」と応えたものの、入ってきた輩が誰かは未だ気付いてはいないらしい。
 「手塚、」
呼び掛けると、フと顔が上がる。
 「お前か」
何の用だと訊かれる前に、「ちょっといいかな」と委員会の書類をヒラヒラと揺らした。
それに視線を巡らせ、軽く頷いた手塚がおもむろに席を立つ。
 「あれ?俺がそっち行くけど」
 「いや、いい。出よう。外の空気が吸いたい」
そう行ってさっさと生徒会室を後にする彼の背中を追いながら、

 (これは珍しい。)

と冷静に思った。
他人に滅多に零す事の無いだろう、私情の入った言動。
そういったものを聞ける程度には、自分は手塚にとって特別なのだと信じたいところだが。

 (…分からないな)

手塚に関しては、何もかもがデータ不足だ。

 「…じゃ、そういう風に書いて提出しとくから」
 「ああ、そうしてくれ」
 「やっぱり会長殿直々に訊いて良かったよ」
書類を四角折りに畳みながら、開け放した窓から外を見ている手塚に話しかける。
3階別館の特別教室棟に位置する生徒会室前の廊下は、
放課後になると閑散としており、人が見当たらない。
関係者以外しか立ち寄らないからまあ当然なのだが、余りにも人が居なさ過ぎて、
此処は本当に学校だろうかと、何処か非現実的な世界に放り込まれたような錯覚に陥る。

この春。生徒会長とテニス部部長というダブル責任職に就いた手塚に、
暇というものは与えられず、彼はただこうして毎日黙々と役職をこなしている。

そういえば、逢う時間も減ったかな…とぼんやり思考を遊ばせている時、
 「…お前と、」
ポツリ、手塚が微かに唇を動かした。
 「ん?」
春の風がふわりと漆黒の髪を揺らす。
 「…お前と居る時が、やはり一番楽だ」
何の予告も無く突然述べられた告白に、一瞬全ての思考が計算を放棄した。
 「…え?」
返した言葉まで間の抜けている自分に対し、手塚は悠然と落ち着いている。
外を見ていた瞳を、ゆっくり閉じ、窓枠に乗せていた両腕に顔を埋めて。
 「…反面、とても落ち着かない気分にさせられるのも事実だが」

これは皮肉?
それとも下手糞な照れ隠し?
どちらだろう。
手塚は、今何を考えてる?

何を求めている?

 「…逢わない方が良かった?」

こちらを見ない手塚。
そんな彼に対し、選択肢を提示してみる。

こういう、
 「こういう、関係にならない方が良かった?」

そうすれば、毎日ビクビクせずに済む。
日常を取り巻く常識に、脅かされずに済む。
祝福されざる恋を選んでしまった事に、

 「手塚は後悔してる?」

その質問を言い放った後、自分の心臓がギリギリと痛む事に気付いた。

これは。
この質問は。
自分にも適応する事じゃないか。

自分の両腕に埋めていた顔をゆるゆると上げ、手塚がこちらを見る。
僅かに、困った顔をしていた。

 「…なんでお前がそんな顔をするんだ」

逢わない方が良かった?
真逆。

両腕を解き、5センチ分の身長差を乗り越えて、手塚の掌が髪の毛に触れた。

 「俺は後悔してない」

こういう関係にならない方が良かった?
…真逆。

顔を上げられない。
自分に向けられているであろう手塚の真っ直ぐな視線を受け取れない。

俺は後悔してる?
…真逆、真逆。

 「後悔なんてしていないぞ」

凛とした声音。
この恋を、全肯定してくれる力強さを秘めた其れに、感謝した。

髪の毛を不器用に撫でてくれる、手塚の指を、腕を掴んで、学校の廊下という状況下で強く抱く。
その衝動で宙に舞った書類がカサリ、と乾いた音を立てて地に落ちた。

 「乾?」

されるがままの手塚を、腕の中で強く強く抱き締めて、何も言わずに、その肩口に顔を埋める。

「…乾?」

不安だったのは俺。
常識に捕われたのは俺。
自信が無かったのは俺。
手塚に向けた意地の悪い質問は、愚かな自問自答でしかなかった。

手塚は、この忍ぶ恋が持つ障害をものともせず、乗り越えたその先で俺の事を見ていてくれた?



想っていてくれた?


 「…乾?」

何度も繰り返される呼び掛けに応じる事も出来ずに、
ただ強く、微かに強張った手塚の身体を、抱き続けた。



この恋を。

不幸な恋だ、と。
笑う人が居るかもしれない。

けれど俺は。






俺達は。






□END□