いつもと同じ日々を。

変わらない、日々を。



火曜日。放課後。
通常通り、学校脇の広大なコートではテニス部の練習が行われていた。
本日もレギュラーは別メニューで、その他の部員達は筋トレなど基礎的な練習で動いている。
新学期早々レギュラーから外れた乾は、別コートで自分用のメニューをこなしつつ部員達の練習のサポートも行っていたのだが、
大石が本日風邪で学校を欠席しており試合の頭数が足りないとかで、無理矢理レギュラー達と試合をする事になってしまっていた。

しかも菊丸とペアで。

 「くらえ!ムーンボレー」
 「うわー乾全っ然似てねぇ〜!」

大石の代打で呼ばれたのだから彼になりきってテニスをやっていると(しかし声音は淡々と)、
前衛の菊丸はゲラゲラ笑って試合どころではない。
そんな彼を無視し、カラカラとラケットを鳴らしつつムーンボレーを相手コートに打ち込むのだが、
 「あ、今のって大石の真似だったんだ」
正面、対戦相手の不二にニッコリと打ち返される。しっかりポイントも取られ。

 「やはり紛い物は通用しないか」
 「つーか似てないし!」

菊丸と乾の珍妙なペアのやり取りを、他コートで試合をしているメンバー達も興味深そうに眺めていた…が、
そろそろ雷が落ちそうな予感もしないではないので、各自さっさと自分の試合に集中した。
青学レギュラー陣は基本的に個人主義なのだ。
しかし、雷。こと手塚国光が彼等を横目に試合終了まで口を開かなかったのは奇跡かもしれない。
部員達はそう一様に思っているが、実はこれは乾が手塚の「ここまでは怒らない」という境界線を、
しっかりと熟知しているからこそ成せる業だったりするのだ。



 「お疲れ」
試合が終了した者は各自10分休憩の為、試合を終わらせたレギュラー達は様々な場所に散っていく。
水を飲みに行くという菊丸と別れた乾は、一番先に試合を終らせコートから出ていた手塚を見つけ、
彼の隣が無人である事を確認し、そこに歩み寄って、一声掛ける。
そしてそのままフェンスに背中を預けると、ガシャン、と金網が鈍く撓む。
その振動で緩く顔を上げ、手塚が乾を確認するよう眼鏡越しにじっと見つめた。
 「ああ。」
そして再び顔を戻し、フェンス越しから部員達を厳しい瞳で追い始める。
相変わらずの沈黙。ボールの音だけが矢鱈耳について。
慣れているとはいえ、やっぱり少し寂しいなあ。と乾は心持ち肩を竦める。
 「やぁ、久々の試合だった」
とりあえず。
ふう、と息を吐きながら至極真当な感想を述べると、
 「所見だが、動きが以前よりも良くなっていたぞ」
お誉めの言葉を頂いた。
 「いや、もう若い者には敵わないなぁと」
越前や桃、海堂の動きを見てるとそう思うよ、自分を見ない手塚を見ながら、笑う。
自分の凡庸な才能を痛感しているだけに、乾はひしひしとそう思う。けれど不思議と嫉妬感は無い。
若い芽が育っていくのを楽しみに見ている、というような心境にすら陥っているのだ。
自分は選手よりも指導者向きだな、と思う瞬間である。
しかし、タオルを肩に掛けた隣の男はその言葉を、前を見たまま神妙な顔で聞いていたが、
小さな声で、年寄りのような事を云うな。と呟いた。



テニスボールの乾いた打球音。
威勢のいい部員達の掛け声。



けれど。
フェンスを隔てコートから外れたここは、まるで別世界のような静寂が支配している。

休憩時間は後幾らも残っていない。
自分は7分。手塚は2分弱といったところか。
乾はそんな事を冷静に考えつつ、手塚と同じようにコート内を眺めていたが。

 「戻らなくていいのか?」

尋ねながら、動かした左腕は隣の右手に音も無く忍び寄って、

そのまま、指先を緩く絡ませる。

すぐに撥ねつけられると思っていた右手は、予想に反してそのまま動かなかった。

ひやりと冷たい他人の手。

 「云っている事とやっている事が違うぞ、乾」

切れ長の瞳だけを動かし、手塚が隣の男を睨みつける。

ひやりと冷たい手塚の手。

 「嫌なら離していいよ」

乾がそっと、自分の眼鏡を中指で押し上げる。
金網のフェンスに軽く押し付けられた、二人の手。
コート内からはこの場所は丁度死角になっており、誰からの視線に触れる事は無い。
おそらく乾はそういう事も計算に入れて、このような行動を取っているのだろう。手塚は思う。
見えないところで緩く絡められた指先。それでも至って無表情な乾と手塚なだけに、誰も不審に思わない。

 「…」

何か。
云い掛けようとした手塚の唇が、結局言葉を紡ぐ事無く閉じられる。

手塚は、こういう物云いをする時の乾が嫌いだった。

いつも自分を試すような問い掛けをする。それが彼の常套手段だ。
彼の方からやって来て、自分に触れ、心を掻き乱していくクセに。
しかし妙な処でこの男は自信が無く、酷く臆病なのだ。

手塚の両眸は今も部員達を追っている。
追ってはいるが、脳内を占めているのは、不覚にもその男の事だけだった。

冷たかった自分の指先が、乾の暖かな体温に侵されていく。
それに比例するように、乾の事しか考えられなくなる。
その事実に、戸惑う。

(けれど乾は、)

手塚がゆっくりと、頭を目の前のフェンスに押し付けた。
金網特有の匂いが鼻をかすめ、微かに眉を顰めたまま瞳を閉じる。

(けれど乾は、…)



自分の、この想いを信じない。



 「嫌なら、離していいんだよ。手塚」



離せる訳なんて無いのに。
この男は何故こんなにも、自分の想いを軽視するのだろう。
信じてくれないのだろう。

少しだけ、苛立って。
けれど、どうする事も出来ない自分の臆病さも十分に理解している手塚に出来る事は、
唯、無言のまま、乾の手を離さない事だけだった。休憩時間なんて、どうでも良かった。

他人の、熱に。
乾の持つ熱に。
侵食されながら。


手塚は、乾を見ない。
乾は、何も語らない。

上手く交わる事の出来ない想いを持て余したまま、二人は見えない場所で、



指先だけで繋がるだけだった。






□END□