これは夢だろうか。
それとも自分の抑圧された願望が、とんでもない方向に顕われたのか。



 「手塚ー頼まれてた新レギュラー用のメニュー、とりあえず作ってみたけど…」

放課後。
HRが終わってすぐに1組の教室に出向いた乾だったが、目当ての人物は捕まらず、
行き先を尋ねたら生徒会室だというので、結局云われるまま3階校舎の別館につながる廊下を進んでいた。
形式だけのおざなりなノックをして、持参したノートに挟んであるメニュー表に目を落としたままガラリと扉を開ける。
この曜日は生徒会役員が集まる日では無い。
という事は、彼がこちらに来ているのは何か私用があっての事なのだろう。

 「乾か?」

部屋の奥から聞こえてきた声。
やけに重々しく奇妙な緊張感を内包したそれを怪訝に思って顔を上げると。
そこには手塚が、
窓際近く鎮座している会長机の傍に、手塚が、
自分の目の錯覚で無ければ、セーラー服姿で佇んでいた。
その姿を認識した瞬間、乾の手元からメニュー表がはらりと落ちる。
生まれて初めて「絶句」という言葉の意味を、身をもって知ってしまった瞬間、だった。

 「…いや、その、……何事…?」

余り表情に出ていないが内心腰を抜かす勢いで驚いている乾を、
驚愕に陥れた張本人はしかし手慣れた様子でさっさと応接ソファに招き入れる。

 「文化祭の企画の一環だ。衣装合わせをするから着ておいてくれとクラスの女子に頼まれた。気にするな」
 「いやするよ。だってセーラー服だよ」
 「…気にするな、と云っている」

するなと云われても。
結構衝撃的な衣装なんですけど。

乾がおそるおそる自分の隣に腰掛ける手塚を横目で捉える。我ながらなんだか物凄く挙動不審ぽかった。

 「…なんで手塚はそんなに冷静なんだ」
 「割り切った方が楽だと悟ったからだ」

答えながら、何処か遠くを眺める手塚。
もはや諦念の境地に突入している。
会長である彼が自分のクラスの出し物にストップをかけられないなんて。
流石特進クラスの1組。一体どのような巧妙な手口を使って企画を通したのか、個人的に非常に興味があった。

 「ところで用件は何だ?部活には遅刻するなよ」
 「いや、頼まれてたメニューの下書きを渡しに来たんだけど」

そう云いながら、無意識に四角折りしてしまっていた紙を手渡すと、
すまないな、と余りすまなさそうではない口調で返された。
早速厳しい顔で目を通しチェックを始める彼を眺めながら、思う。

(あえてうちの制服でなくセーラー服を着せるところが、分かってるよな)

誰だか知らない相手に対し、乾はマニアックな尊敬の念を抱いた。
こんな事、隣に座る彼には死んでも云えないけれど。
それにしても、だ。

 「いつまで着てるんだ?それ」
 「女子達が戻ってくるまでだ。見てもらわん事には脱げない」

彼女達は先に片づける用事があるとかで一旦教室に戻ってしまったらしい。
文化祭1ヶ月前。そろそろ企画が決まりだして、生徒会から許可印を貰い次第準備が出来る時期だ。
特に3年生は中学最後の年だからこの文化祭に全てをつぎ込む。そろそろ自分達のクラスも忙しくなってくるだろう。
しかし、いくら忙しいとはいえこんな格好で一人生徒会室で待たされる手塚は、ある意味物凄い処遇を受けていると思う。

 「私的な意見だけど…わりと似合ってると…思うよ」
 「見え透いた世辞は結構だ」
 「いやいや本当に」

相変わらずの無表情なのだが、その険のある口調の奥に自棄になっているのがありありと感じ取れて、なんだか可笑しい。
その憮然とした表情とは裏腹に、着ているものがセーラー服という滑稽さがどうにもみっともなく可愛かった。

 「まあ背中とかパツパツだけどね」

これ以上のサイズが無かったんだ。と顰め面で自分の格好を改めて見直し、その後手塚は静かに溜息を吐いた。
しかし乾からしてみれば、少し窮屈そうではあるが、何とかきちんと着こなせている手塚には素直に驚嘆する。
例えばこれが自分だったら、袖を通す段階で衣装を伸ばすなり破くなりして台無しにしてしまっているだろう。
まあ余りにも下らない事で感動していると自覚しているので、勿論これも彼には云えないが。

 「で、どう?着心地の方は」

訊いてやると、壮絶に厭な顔をされた。
こういう時の手塚の表情は、露骨過ぎる程に正直だ。

 「どうもこうもあるか。窮屈だし寒い」
 「寒い」

復唱しつつ、思いあたる場所に目を遣れば、まじまじ見るなと首を捻られた。関節が不気味な音を立てる。

 「横暴だなぁ」
 「自業自得だ」

乱れた気持ちを落ち着かせるように、手塚が中断していたチェックを再開する。
変な方向に捻られた首を撫でながら、しかし何事か思いついた乾は懲りずに再び口を開く。

 「手塚」
 「何だ」
 「これって部のみんなには…」

煩わしげに聴き流していた手塚の眉がぴくりと動いた。

 「云うな」
 「でも分かっちゃうんじゃないか?文化祭で着るんだったら」
 「絶対云うな」

こちらに向けられた眼鏡越しの瞳には珍しい必死の色。
相変わらず無愛想だが手塚は明らかに焦っている。それを感じ取った乾がにっこりと笑う。
試しにこっそりと張ってみた罠に、簡単なくらいあっさりと嵌った生真面目な彼を眺めながら。

 「じゃあ口止め料という事で」
 「…?」
 「キスしていいかな」

その抑揚の無い声で唐突な申し出を受けてから数分間。
しばらく微動だにしなかった手塚が、ゆっくりと視線だけを提案者の方に向ける。

 「ここは生徒会室だ」
 「分かってるよ」
 「もうすぐ人が来る」
 「その前に」
 「駄目だ」
 「って云っても駄目」

言葉遊びのような駆け引きを自ら強制的に打ち切った乾が、隙をついて手塚の右肩に手を掛ける。

 「い…」

異を唱えかけた口はあっけなく塞がれた。
少しだけ乱暴なその動作の所為で、互いの眼鏡が軽くぶつかる。
その度に視界がブレて、気持ちが悪い。
触れるだけのキスは、けれど長い間唇の上にあって。
張り詰めていた呼吸の行き場が無くなる頃、ようやく解放されて全身の力が抜けた。
ソファに座っている筈なのに腰のあたりが浮つく感じ。
不可思議なそれを持て余すように手塚が眉を顰めると、その眉間の上をひやりとした指先が辿る。

 「眉。寄せたら美人が台無しだよ」
 「………余程グラウンドを走りたいようだな、乾」

きつく睨みつけてやれば、心持ち肩を竦めた格好で乾が静かに笑った。

 「滅相もない。日頃十分走らされてますから」
 「そうか。なら20周追加してやろう」

未だ他人の感触が残る口を袖で拭いながら、さっさと行ってこい。と追い払った。
乾はその所業に文句を唱える事無くのんびりと立ち上がる。
内心自分がした事に対しこれだけで済んだという方が驚きだった。
着ている服が違うと性格も多少柔らかくなるのだろうか。
だとしたらいいデータが取れた。かもしれない。

なんてふざけた事を思いながら。



後日談。
予算他様々な事情で、結局1組の企画は変更になったらしい。
よって手塚のセーラー服姿は極最小限の人物しか見ていない事になる。

(だとしたらレアだよなぁ…)

テニスコートで新レギュラー達を厳しく指導する手塚を遠目に、
あの時の事はやはり夢だったのではないか、とぼんやり思う乾だった。






□END□