「ごめん」
掠れた声。
抑揚の無い、けれど後悔にまみれた低音。
確実に自分の耳から脳へと伝達されている筈なのに、
それは何故だかぼわぼわとしていて気持ちが悪い。落ち着かない。
まるで現実的じゃない。別世界のような。それなのに突きつけるみたいに乾は云う。
「ごめん、手塚」
「…謝るくらいなら、するな」
「ごめん」
本当に。
初めからこんな事、しなければ良かったのに。
指一本、動かすだけでも全身が引き攣れるように痛い。
自分の身体がこんなにもいう事をきかないのは、生まれて初めての経験だった。
床を見ると、眼鏡が落ちていた。道理で視界が暈けている筈だ。
のろのろと弦に指を伸ばすと、それは妙な具合に曲がっていた。
そんなに衝撃を受けたのだろうか。けれど左の頬が痛い気もする。
乾にぶたれて。
「…ごめん」
無理矢理組み敷かれて。
「本当に、ごめん」
先程から馬鹿のひとつ覚えのようにそれだけしか云わない男の項垂れた首筋に手を這わす。
眼鏡が無いからよく分からなかったけれど、男は俯き泣いているようだった。
肩を震わせしゃくり上げ、鼻を啜り、ぼたぼたと涙を零して。
「謝るな」
乾は。
謝って、無かった事にしたいのだろうか。
謝って、自分のした事全てを否定したいのだろうか。
だとしたら自分は。
謝られて、これからどうすればいいのだろう。
この身体は指を、舌を、声を、熱を、感触を、覚えているのに。
許す事も、怒る事も違う気がする。何故ならこうなる事を自分は望んでいたからだ。
乾にこうされる事を、望んでいたからだ。
「ごめん」
それなのに乾は謝る。
壊れた機械みたいに、何度も何度も。
俯いたままこちらを見ず、目も合わさないで泣いて。
そんな乾の傍で、ただ途方に暮れる。どうしたら彼が泣きやむのか考え続ける。
「謝るな」
けれど自分も、同じ事しか云えなかった。
□END□