「…お前は、こんな処にもメモをするのか」

 「ああ、突然思い付く事ってあるだろう?眠りにつく前は特に」

 「しかし、壁だぞ。消すのに…」

 「大丈夫。今は専用スプレーという便利な物が売ってるんだよ」

手塚は、黙る。

彼の視点は、白い壁に無造作に記されている細かな文字に固定されていた。
一体何が書いてあるのか判読出来ない。おそらく本人しか判らないのだろう。
それぐらい、ゴチャゴチャとして汚いメモ書きである。

 「明かり、」

 「え?」

 「明かり、わざわざつけるのか?…その、思い付いて書く時」

 「枕許に携帯置いてあるから、その光で十分書けるよ。時間かかる時はつけるけど」

また、黙る。

良く見ると確かに、すぐ傍に携帯の充電器が置いてあった。
少し頭を動かした所為で、頭下に敷いてある柔らかいそれから彼の匂いがふと芳る。
たったそれだけで、堪らない心持ちになった。

 「…このメモ、何て書いてあるんだ」

 「読めない?」

 「読める訳無いだろう。お前の字は癖が有り過ぎる」

 「そうかな。…何て書いてあると思う?」

 「…判らないから訊いているんだ」

乾が眼鏡の奥で、笑った。

 「手塚の事。」

質問した手塚が、黙った。

 「…嘘を吐け」
 
 「嘘じゃないよ。と言ってもデータノートに書き忘れたものとか、攻略とかだけど」

 「攻略、」

 「そう。ちょっとしたプレイの癖とか、そこから次の手を見抜けるかもしれないし」

ところで手塚。と乾が会話を中断する。
呼ばれた相手は壁の文字を見たまま、なんだ。と応えた。

 「今日はやけに口数が多いね」

 「そんな事は無い」

 「しかも今の状況に全く関係の無い事を、良く喋る」

 「お前の気のせいだ」

 「眼鏡外していい?」

 「………。」

無言で返すと、長い指が近づいてきて音も無く眼鏡を奪っていった。
急に裸眼に戻ると暫くの間視界が暈ける。その気持ち悪さに瞳を細めた。

 「手塚って、眼鏡が無いと幼くなる」

 「…煩い」

嬉しそうにそんな事を言う乾が無性に腹立たしくて、小声で怒鳴る。
しかし相手には全く効果が無いらしい。口許に広がる笑みが、益々深くなっていった。

全く以って、腹立たしい男だ。

 「…俺に関するデータ集めも結構だが、その前に自分の部屋も片付けろ」

何処に怒りをぶつければいいか分からなくて、結果彼の部屋が攻撃対象になった。
テレビの前に散らばるビデオテープの山。机の上には雑誌やノートが危なっかしく積み重なっている。
潔癖症という程でも無いが、部屋は綺麗に片付いていないと気が済まない手塚は気になって仕方が無い。

 「散らかっている方が色々調べるのに便利なんだけど、駄目かな?」

 「調べている傍から雪崩を起こすぞ、その机の上…」

 「そうか、それなら片付けようかな」

 「それに本棚だって無茶苦茶じゃな…」

 「じゃあ、今度整頓術教えてくれる?」

 「…乾………っ、!聞いてるのか…!?」

 「聞いてるよ、ちゃんと」

何事も無いように受け答えしつつ、じわじわと緩慢に追い詰めていく乾。
それに比例するように、手塚の息が上がる。否むように喋り続ける口が、動かなくなる。

 「…それなら……っ、」

それでも必死で言葉を紡ぎ出そうとする手塚の耳許に、乾がそっと顔を寄せた。





 「続きはこれが終わった後で、聞いてあげるから。」





耳に零された声音は余りにも穏やかで、艶やかで。

手塚に出来る事はもう、口を噤み、瞳を瞑る事しか無かった。






□END□