二人



 「柳生と?」

怪訝そうに片目を細めながら、仁王が正面に座る男に対し、確認するよう呟いた。
彼と対面している幸村は少しだけ微笑んで頷くと、右手に持ったシャープペンを指先で器用にくるりと回す。

 「そう。ダブルスを組んでみないか?」

二年の秋。
三年生が引退した立海大附属テニス部は、幸村を新部長として新たな体制を形成する時期にさしかかっていた。
即ち、新レギュラーの選抜。
その外見から穏和な印象を人々に与える幸村だが、王者という名を冠する名門テニス部の部長にのし上がった男である。
その実力はもとより、統率力、そして選手を見る目が抜群に優れている事は、誰が見ても明らかだった。
練習が始まる少し前、突然部室に呼ばれた仁王も勿論そんな彼を認めている。滅多に口に出しはしないが。

けれど、彼が柳生の名前を出した真意は、正直理解らなかった。

その場につっ立ったまま、面倒臭そうにズボンのポケットに両手を突っ込んで黙っている。
きっと彼の事だ。自分の出方を待っているのだろう。それならばと沈黙を遮るように、再び幸村が口を開いた。

 「勿論無理強いはしない。仁王が良ければの話だ」
 「なんで柳生?」

予想していた仁王の問いに、ふわりと微笑む。
すると彼の隣に控えるように座っていた柳が、開いたノートに視線を落としながら代わりに言葉を継いでいった。

 「幸村に頼まれてざっとレギュラー候補を選んでみたんだが、
 どうにも偏りがあってな。シングルスは比較的問題は無いんだが、ダブルスが弱い」
 「ふうん」

興味無さげに相槌を打ち、ポケットから片手を出して結んだ後ろ髪を弄る。
幸村はそんな仁王をそっと窺う。この仕草は僅かに迷っている時の癖だと、彼は把握していた。

 「でも俺、ずっとシングルスでやってきてんだけど」

昔も今も、自分のプレイスタイルは根っからシングルス向きだと思っている。
それでレギュラーが獲れなければそれまでだとも。

 「折角いい素質を持ってるんだ、使わないと勿体無い」
 「ダブルス、ねえ」

その言葉を受けて、特徴的な切れ長の瞳が何か思案するように、微かに伏せられた。
シングルスの席は埋まっているが、幸村にその実力を買われダブルスの席を用意された、という事か。

 「柳生は元々ダブルス向きのプレイヤーだから合わせ易いと思う。どうだろう仁王」

穏やかで柔らかな声。幸村が、じっと見据えるように仁王を眺めている。
その優しい眼差しの奥には、けれど頂点に立つ者特有の冷徹な計算高さを確実に含んでいる。

勝つ為には手段を選ばない、勝利への純粋な欲求。

髪の毛から無意識に口許へと持っていった指先で唇をゆっくりとなぞりながら、仁王はこっそり口角を吊り上げた。

 「一度考えてみてくれないか?」
 「組むよ」

二つ返事の即答に、柳が僅かに顔を上げ、幸村は両眸を細める。
崩れた姿勢で立つ仁王は、だるそうに笑って、そしてもう一度自分の意向を告げた。
確認するように、ゆっくりと。

 「柳生と。ダブルス」

声に出してその名を呼べば、脳裏にするりとあの無表情がよぎる。
あいつと組むのかと思うと、なんだか少し笑えた。

 「…すぐに色好い返事が貰えるとは、思わなかったな」
 「長いものには巻かれる主義なんで」

緩い笑いで答えると、

 「素敵な心掛けだ」

両手を組んで肘をつき、幸村もふわりと笑った。

こういう喰えない対応で返してくる新たな自分達の部長を、仁王は割と気に入っている。



 「お断りします」

次の日、同じ内容を提示された柳生は、表情を崩す事無くそう答えた。

 「理由を教えてくれないか、柳生」

拒絶された幸村は、それでも怯む事無く静かな眼差しで彼を見つめている。
不穏な空気が流れ始めた事に気づいた柳が、場を取りなすようにノートをぱらりと開いた。
少ししてペンの走る細やかな音が、部室内に小さく響く。

 「何故仁王くんなんですか?」
 「これまでの二人のプレイスタイルから判断して。仁王の結構無茶な動きも柳生ならフォロー出来るだろう。それに…」

言葉が唐突にそこで、途切れる。
不審に思った柳生が顔を上げると正面、机を挟んでパイプイスに腰掛けている彼と目が合った。
何か意思を含んでいるような、綺麗な黒い瞳。

 「…いや、後は勘、かな」
 「勘?」

眉を寄せ、呟くように復唱する。柳生もまた、幸村の真意をはかりかねていた。

 「…お言葉ですが、仁王くんをフォロー出来る選手なら、私以外にも居ると思います」

中指でそっと眼鏡のブリッジを押し上げて。
感情を抑えているような声で意見を唱えた。否、殺しているのか。
柳は柳生比呂士に関するデータを記載したページで、指を止めている。

 「私でなくても…」
 「怖いか?」

愛用しているシャープペンの上に付いたマスコットを指先で弄りながら、幸村が言葉を遮った。

 「自分と組んで、自分の所為で仁王が負ける事が」

その問いに、柳生は一瞬息を吸って何か云おうとしたが、結局その場に立ち黙ったままでいる。
眼鏡の奥の瞳はこちらからは反射してしまって、彼がどんな表情をしているか、全く理解らなかった。
それでも幸村は容赦なく淡々と、続ける。

 「仁王に敗北を、与えてしまう事が」

何故。
無表情という武装の内側で、思わず軽い混乱に陥った。
目の前の男は優しい笑顔を向けたままで、自分の心中を簡単に看破してくる。

全て。
全てを。
見通しているというのか?

 「私、は…」
 「仁王はお前と組む事を承諾しているよ、柳生」

その名前に、反応する。無意識に指先が、ひくりと震える。

 「だからもう少しだけ考えて欲しい。出来れば俺はお前達のダブルスが見たい」

圧倒される、強い瞳。ああ、だから彼は部長なのだ。柳生は漠然と思う。
この、負ける事がけして許されない王者の名を冠する、立海大付属中学、テニス部の。
その頂点に位置する幸村はにっこりと笑って、傍に居る柳に、きっとすごく勝率上がるだろう?と無邪気に問いかけている。
部の将来を考え、大人びた表情を見せたかと思えば、ころりと子どもに返る。その変わり身の早さに思わず舌を巻く程だ。

 「初期予想で85%かな。本格的に練習するようになれば、もっと伸びるだろう」
 「いいな。凄くいい」
 「幸村くん、私は…」
 「柳生」

名を呼ばれて、咄嗟に顔を上げれば。
柳の隣で幸村は、柔らかな笑顔を浮かべていて。

 「仁王を負けさせたくないのなら、」
 「…」
 「勝てばいいんだ」

恐ろしく簡潔で無茶苦茶な論理を、云ってのけた。
音も無く絶句した後、柳生はゆるゆると天井を仰ぐ。

敵わない、と思った。



 「精市。俺は予測を誤った」

既にユニフォームに着替えていた柳生が部室から出て行った後。
やれやれなんとか終わったと伸びをする幸村の横で、柳はノートをぱたりと閉じる。

 「何が?」
 「比呂士の方がこの話を断ってくるとは、意外だった」

どちらかといえば、性格上渋るのは仁王だろうと予測していたのだが、
彼はあっさりと承諾し、頑なに拒否したのは柳生の方だった。あの人あたりの良い、物静かな彼が。
柳にとってはまさに予想外の出来事だといえる。
幸村はイスに背中をぺたりとつけたまま、ぐんと腕を伸ばしながら、
自分の予測が外れて静かに落ち込んでいる柳を苦笑しながら横目で眺めている。

 「そうかな、俺はきっとこうなると思っていたけど」
 「確かにこのペアは数値上では相性がいいが…実際上手くいくのか不安だ」
 「教授がそんな弱気では困るな」
 「茶化すな」

じろりと柳が睨みつければ、悪戯を咎められた子どものように肩を竦める。

 「すまない。けどあの二人、組めばいいペアになると思うよ」
 「性格もまるで違うし、お互い最初から意見が食い違っているぞ」

とん、とノートを机上に置いて、意識を切り替えた柳がイスから立ち上がる。
そろそろ部員達が集まってくる時間だ。弦一郎はまた人知れず何処かで練習でもしているのだろうか。
ともあれ先にユニフォームに着替えておくに越した事は無いだろう。そのまま移動して、自分のロッカーに手を伸ばす。

 「違うかな、性格」
 「ん?」

ぼそりと小さな声が耳に届いて。
振り向くと幸村が頬杖をついて遠くを、柳生が出ていった扉の方を見ていた。

 「俺はあの二人、すごく似ていると思う」

あの時笑った仁王。
あの時震えた柳生。

 「どっちも自分が嫌いなんだ」
 「嫌い?」

柳が問い返すと、うーん…、と彼が珍しく言葉に詰まっている。
どうやら、より適切な表現の言葉を選び取っているようだった。

 「…というか、どちらも余り自分自身に関心が無い。そんな気がする」
 「………あぁ」

云われてみて、柳もふと何かに思いあたったのか、静かに顔を上げる。
確かに「そういう」雰囲気は似ているかもしれない。
性質は全然違うと思っていたけれど。もしかしたら根底は。

 「似てるよ」



だからきっと、いいペアになる。



独りごちるように、確信に満ちた声で呟いて。
シャープペンを胸ポケットに押し込んでから、幸村も席を立った。






■了■

 

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幸村部長は結構したたかだったらいいな、と思います。