裏切られても
ほっとかれても
嘘つかれても



 「…私はね」

机上で両手を組んでおもむろに話し出す柳生の声は、
いつものような耳辺りの良い、一本芯の通ったものではなく、

 「貴方が私を必要だというから、好きだというから、今この関係を続けているんです」

明らかに湧き起こる怒りを紳士的理性を総動員して抑えこんでいるんだろうなぁ、
というような、あまり頻繁には聴けないであろう情感が溢れ出している低音だった。

ロッカーのすぐ近く。
ジャージから制服に着替え終わり、頭ではそんな分析をしながら怠そうにつっ立っていた仁王は、
傍にあったパイプイスを引きずってきて、長机を挟んだ柳生の正面までくると、そこに腰を掛けうんと頷く。

 「貴方は私の事が好きなんですよね?」
 「うん」

今にも部室の机の上に突っ伏しそうな状態で、それでも何とか色々なものに耐えているのだろう柳生は、
眼鏡の奥からこちらをじっと見据えてくる。目線がいつになく鋭い。

 「必要なんですよ、ね?」

ゆっくりと、念を押すようにそう訊かれたので。

 「勿論」

にっこりと笑って、頷いた。
ここで、ふつりと途切れる緊張感。
柳生もそんな仁王の笑顔につられたのか、ふ、と柔和な表情になったままで、けれど間髪入れずに次の言葉を繰り出した。

 「では何故他の女性との噂が絶えないのでしょうか」

にっこりと。
その表情はまさしく笑顔の筈なのだが、柳生の目は笑っていなかった。全く。

 「この半年で5人、いえ6人ですよね」

長めの後ろ髪をゆるゆると指先で弄びながら、仁王はう〜ん…とその質問に対する回答を探す。
が、無意識に出た言葉は、いつもの無意味な口癖で。

 「ぷり」
 「何がぷりですか。私は貴方の気持ちが聞きたいんですよ」

ぎし、
机の歪む鈍い音が耳にそろりと入ってくる。
ふと見遣ると、正面に着席している柳生の組んでいる指が小刻みに震えていた。

ああ、これは怒ってる。
嬉しくて、思わず口角が上がってしまった。
俺の事を考えて、怒ってる?柳生。

 「他に相手がいらっしゃるならそちらへどうぞ。私はその他大勢になる気などありませんから」
 「ピヨ…」

ガタンッ、と突然机が大きく揺れる。
見れば勢い良くイスから立ち上がった柳生が机の上に広げていた日誌を乱暴に鞄の中に収めている最中だった。
これは本格的に機嫌を損ねてしまったかもしれない。咄嗟にその手を掴んで邪魔をして、彼の正面に立つ。
というか思い切り長机の上に乗り上げてしまっているのだけど。
まあ行儀が悪いと叱られるのは後にしよう。
仁王はそのまま、手を捉えられ半ば硬直気味の柳生の傍まで顔を近づけると、

 「怒ってんの?」

間抜けにも程がある質問を、彼にぶつけた。

 「ええ、怒っていますね。話を聞いてくれない、不都合になると意味不明の言葉で逃げる貴方に」

あくまで無表情で涼やかな顔と、対峙する。自分が長机に乗っている分顔の位置が同じ高さなのだ。

 「あいつらとは何も無ぇよ。だって全部切ったもん」

カチャ、と。
仁王の指先が恭しいものに触れるように、柳生の眼鏡の弦をツ、と静かになぞった。

 「その噂、流してんのはそいつらかもなー」
 「…仁王く」

柳生が止めるより先に、そのまま触れていた弦にしっとりとキスを落とす。

 「柳生、まだ怒ってんの?」

そんな可愛い目をしても。
柳生は息を呑んでぐらつく気持ちを立て直す。
騙されては、いけない。

 「…怒ってますよ。眼鏡という物は口づけの対象では無い筈です」

如何にもこの男らしい言葉に、仁王は吹き出すのを必死で堪えた。
互いの息すら触れてしまう程の至近距離で、こんな弱々しい注意を促したって、
相手に効果なんて無い事くらい分かっている。が、柳生はその性分上云わずにはいられない。
注意を受けた相手はというと、やはり意に介さず、楽しそうに今度はフレーム部分にキスをしている。

 「どうしたら、機嫌直してくれる?」
 「…」

仁王の問いに押し黙って、柳生は俯く。
言葉を待つ間、キスをしていた彼の口がゆるりと眼鏡に噛みついてきた。
カシャリ。
その奇妙な行為が彼なりの愛情表現だとしても、所有者としては気が気ではない。

 「…私が」

そのまま今まで仁王にいじられていた眼鏡をゆっくりと外して、制服のポケットに丁重にしまった。

 「私の事が、好きですか」

ポツリと。静かにもたらされた質問に仁王は事も無げに、

 「うん」

笑ってそう返す。
俯いて立つ柳生の表情はよく分からなかったけれど、握った拳は、指先はやっぱり少しだけ震えているようだった。

 「私の事が必要、なんですよね?」

まるでその二つの言葉にがんじがらめに縛られてしまったように、繰り返す。
何度も。

柳生はいつも、不安で仕方がないのだろう。
自分が与えた甘い言葉に。
嘘かもしれないその甘い、言葉に。
溺れて、迷って、疑って、それでも信じて。

 「本当に?」

こちらを見る事も出来ない柳生を、柳生の身体をそうっと引き寄せる。
彼女達と今現在、何も無いのは本当。
そして、彼女達をけしかけそういう噂を流させたのも、本当。

自分の所為で怒る柳生が見たいから。
自分の事しか考えない柳生が、好きだから。

そう告げたら柳生はどんな顔をするだろう。呆れた顔で笑ってくれるだろうか、それとも気味悪がって離れていってしまうだろうか。
いたずらに想像しては、心の奥でひっそりと笑う。それは多分、きっと一生彼には云わない。

硬直した身体は腕の中で控えめに抵抗を示したが、無視してきつめに、抱き締めた。


 「うん」


この複雑なカタチの愛は、自分だけが知っていればいい。






□END□