「部長〜悪いんやけど今日、隣の控え部室貸してくれへん?」

制服からジャージに着替えている途中、ノックも無しに正レギュラー部室の扉を開けた男。
独特の喋り方でそのままずかずかと入り込んでくる。
手は殊勝に「ごめんなさい」のポーズを形作ってはいるが、内心は実に疑わしい。

 「…何の用件ですか、忍足先輩」

ジャージのボタンを留めながら、ロッカーの扉越しに日吉は忍足を不審そうに見る。
しかし彼は室内を歩きながら、へェー小綺麗になったんやなあ、などと感慨深い声を出していて、話を全く聞いていない。
感心している暇があるのなら早く用件を述べて欲しいのだが。
関東大会が終わり、正式に引退してから滅多に部室に来なくなった前・正レギュラーの忍足がここに来ている。
それだけで今ここに居る現・正レギュラー達の雰囲気がまるで違っているのだ。彼に向けられる、緊張感溢れる眼差し。
けれどそれに気づいているのかいないのか、否きっと曲者の彼の事だ、分かっていて且つこの状況を楽しんでいるのだろう。
ようやく満足したのか、のんびりと椅子に腰掛け棚を眺めながら目敏く、あー俺集めとった食玩揃ってるやん!とかなんとか云っている。

とりあえず、咳払いをひとつ、した。

 「………忍足先輩」
 「ん、あぁすまんすまん、あんな、今日岳人の誕生日やねん」

岳人。

その名前に一瞬だけ視線を上げると、にっこりと笑っている忍足と目が合った。ぬかった。
しかし忍足はそんな日吉を特に気に掛ける様子も無く、机に頬杖をついて、言葉を続ける。
 「んで、毎年テニス部員のしきたりで、部室貸し切ってぱあーっと騒ぐんやんな」
そんな話聞いた事が無いのだが。
一層不審な瞳で見遣ると、相手は口許に笑みを乗せたままで肩に掛けている鞄を膝に降ろしているところだった。

 「ほんまやで。ほんまの話や。ただし正レギュ限定な。せやから日吉は知らんねん。
 ジロん時も鳳ん時もそらもう盛大に祝ったんやで?…ってそんな事はどうでもええねんな。今日の主役は岳人や岳人」
 「向日先輩、ですか」

条件反射のように目に浮かぶ、切り揃えられた薄赤色の突飛な髪の毛。
小さくて、いつも笑ってバカ騒ぎをして、しょっちゅう飛び跳ねては色んな人に怒られている。

困った先輩である。

 「そう、でも俺らもう引退してしもたから正レギュ部室は使えへんし、
 まあ無駄にここのテニス部は敷地も部屋もようけあるから、一室くらい貸してもらおうと思うてな」
 「はぁ」
 「んで、現部長さんに頼みに来た訳や」
 「…はぁ」

成程。用件は分かった。
けれど日吉は腕を組んで少しだけ悩む。こういう場合使用許可は出して良いものか否か。
引退したとはいえ、つい2ヶ月前は氷帝テニス部の正レギュラーだった人達だ。
使わずに軽く物置と化している部屋もあるし、使用して貰っても勿論構わないと思う。
ただ、使用目的が引っかかるのだ。
岳人の誕生日を盛大に祝う為、つまり誕生会を行うという事だろう。
テニスとは全く関係無い事で、前テニス部員がテニス部室を使用する。
自分の中で何か矛盾する。
 「………」
俯いて固まってしまった、少々悩みすぎるきらいがある新部長の傍にそっと近づき、忍足が耳許にそっと口を寄せる。

 「ひーよーし」
 「………ちょっと待って下さい」
 「断ったら岳人めっちゃ落ち込むで。死ぬ程凹むで。当分立ち直れへんで」

ボソリ。
悪人じみた低音ボイスでそう囁いて、こちらを見た後輩に眼鏡の奥からプレッシャーをかける。
 「そうなると多分、怒りの矛先はお前に向かうと思うんやけど…」
忍足が最後の言葉を云い終わらぬうちに、やけに決然とした声が部室内に通った。

 「分かりました。使用を許可します…但し片づけだけはきちんとお願いしますよ」



誕生日。
黙々とストレッチを行いながら、日吉は先程の出来事を思い出していた。
あの後忍足は携帯で芥川(か?)に連絡を取り、手短に段取りを説明して電話を切ると、軽く手を上げ部屋を出て行った。
無言でその背中を見送っていたが、扉を閉める直前少しだけ躊躇って、忍足がこちらを振り返る。

 「日吉、今日岳人の誕生日て知っとった?」
 「いえ、初耳でした」

尋ねられたので答えると、ふうん。とまた口許に意味深な笑みを浮かべる。
日吉は思う。彼の、こういうところが好きになれない。全てを知っているような、余裕すら感じる笑み。
そのまま、何か告げるのかと思えば何も云わずに扉を閉められる。何となく中途半端に会話を終了されて、後味が悪い。

誕生日。

9月…今日は12日だったか。
ふと顔を上げて、秋晴れの高い空を見上げる。本当に、全く知らなかった。
特に知りたいとも思わなかったし、それまでに彼から何か云ってくる事も無かったからだ。
別にお互いの誕生日を知って何かを贈り合うような間柄では無い訳だし。
そこまで考えて、顔を上げたまま僅かに首を傾げる。

あ、でもキスは、した。のか。
俺が。
 「………」
彼に。
不意に、あの真夏の暑さを思い出した。あの唇の感触も。

 「……………」
 「………長」
 「……………」
 「………部長」

控えめに肩を叩かれ無表情で我に返る。
叩かれた方を見ると、同じ正レギュラー部員が心配そうにこちらを見ていた。

 「あの、大丈夫ですか?なんかぼーっとしてましたけど。良かったら次の指示お願いします」
 「………あぁ、」

ぼーっとしていた?自分が?
心の奥で軽く衝撃を受けつつ、何事も無かったように立ち上がる。
よく考えれば自分はストレッチの半分もこなしていなかったが、仕方が無い。
準レギュラー、正レギュラーの代表者に指示を与えて、自分もボールを手に取った。
コートに足を踏み入れた瞬間、部員達の気配が伝わる。ぴりぴりと肌をひた走る、緊張感。
跡部部長の時は、こんなものではなかった。けれど。
これくらいが自分には丁度いいと思い始めているのは、実際部長という役職に就いたからだろうか。
それともその責務に潰されかけていた時、肩に乗っていたプレッシャーをいとも容易く取り除いてくれた、あの人のお陰だろうか。



 「…?」

とっぷりと暮れた空には上弦の月。
人が居なくなった事を確認してから部室の扉を閉め、鍵を掛けて。
階段を早足で降りていく途中、一番下の所に人影らしきものがちらりと見えて、日吉は一瞬足を止めた。
まだ先輩達が残っているのだろうか。騒ぐ事が大好きな人達だから、その可能性は充分ある。
やはり鍵を渡すべきでは無かったか…?と軽い後悔に苛まれながら階段を降り始めたが、どうやら階下に居るのは1人だけだ。
その姿は近づくにつれ見知った人の形になり、顔となった。

 「ういっす」

その人は両手に沢山の贈り物やら花やら何やらを抱え込んで笑う、本日の主人公だった。
 「向日先輩………?」
何故ここに?その質問をぶつける前に、自分の胸の中にその荷物がどさっと降ってきた。
 「っとに、重いんだよなぁ!みんな俺への愛溢れすぎ!重すぎだっつーの」
でやあっとそれらの大半を日吉に預けて、岳人はえっへん。と肩を回しながら得意げに笑う。
対する日吉は現状が全く把握出来ていないのだが、岳人のプレゼントは落とさないように両腕で抱え込む。
 「…一体、何なんですか?」
本当に、何なんだろう。
余りに訳が分からなくて間の抜けた訊き方になってしまったが、まあいい。
とりあえず尋ねてみた。

 「俺なー、今日なー、誕生日だったんだよなー」
 「忍足先輩から聞きました」
 「いっぱいさープレゼント貰ったんだよなー、鳳とか樺地とかからも貰ったんだよなー」
 「そうですか」

カン、カン、と傍にあった鉄柵を指で小突いて喋っていた岳人が突然振り向いて。
 「なのにお前、なんにも用意してなかったそうだから、荷物持ちで許してやろーと思ってさ」
軽く唇を尖らせてそう云うと、ふいっと再び背を向けてそのまま歩いて行ってしまう。
 「荷物持ちをさせる為に、わざわざ待ってたんですか?」
小さな背中をゆっくりと追いながら、訊いた。
夜のコート、夜間練習用に設置された照明は明度を少しだけ落として道を照らす。
ざくざくと、土とコンクリの間を器用に歩く彼の髪の毛を、夜の風が揺らしていく。
 「待ってた。待ちくたびれた。帰ろうかと思ったけど重くて帰れなかった。お前のせいだ」
それは多分明らかに自分の責任では無いと思うのだが。
しかしそこで口火を切っても彼の怒りに火を注ぐ事は確実なので、黙っていた。
 「…今日、誕生日だったんでしょう。こんなにプレゼント貰えて、祝ってもらって、良かったじゃないですか」

それなのに。
何故こんなにも機嫌が悪いのだろう。

プレゼントを抱え直すと甘い匂いが鼻を掠め、可憐な小さな花が自分の胸の中で咲いているような奇妙な錯覚に陥った。
校舎を抜け、校門を出ても、岳人は口を噤んだままずんずんと先頭を行く。
それでも歩くスピードがいつもより緩やかなのは、彼なりに気を遣っているのだろうか。



 「…先輩」

いい加減痺れを切らして、日吉が口を開く。
それでも3歩分の距離をキープして前を行く岳人は、足を止めない。
ひとつ大きな溜息を吐いて、そっと足を速めた。背後まで近づいて、そして。正面に回り込んで立つ。
間近になった、驚く顔。ひょっとしたらこれは自惚れかもしれない。笑い飛ばされるかもしれない。
だけど。
 「手、出して」
塞がった両腕の中から何個かの贈り物を、云われたとおりおずおずと出された彼の腕の中に落として。
それを確認してから、日吉は制服のズボンのポケットの中を無造作に探った。
そしてそこから取り出した黒の携帯をぱちんと開き、ピピピッと小さな電子音を立てながら何かを打ち込んでいく。
 「…何やってんだ?お前」
日吉は何も云わない。
数秒程して、一連の動作を呆然とした表情で見上げていた岳人の、左胸のポケットで軽やかな音楽が鳴り響いた。
 「わ、わ、携帯」
わたわたしながら何とか引っ張り出して、ストラップをかきわけながら携帯を開ける。
携帯のディスプレイを見つめ、首を傾げてから5秒後。道路に大きな声が上がった。

 「わ!あ!これ!もしかしてお前のメアド?メアド?」
 「先輩、声を抑えて下さい。ここは住宅街です」
 「なんでー!俺ずっと教えろ教えろっつってたのに!絶対教えてくんなかったクセに!」

こちらを見上げる瞳が興奮できらきらしている。
こういう無邪気な表情をされると、困る。こんな表情され慣れていないから、対応に困る。

 「………プレゼント代わりです」

誕生日だというのに、嬉しそうじゃないのも、機嫌が悪いのも。
さっきからずっと見ていた小さな後ろ姿に、「お前のせいだ」と無言で責められているような気がして。
別にそういう義理は全くないし、する必要も無いのだろうけど。それなのに。
気がつけば頭の中を必死で探っていた。今から贈る事が出来るような何かを。…否。単に、

自分の所為で怒る彼を、見たくなかったのだ。

 「わー!」
 「だからといって、必要以上に送ってこないで下さい。迷惑なので」
岳人のメール魔っぷりはテニス部に隅々まで知れ渡っている程有名である。
隙あらば否応無しに自分のアドレスを相手の携帯に登録。かくいう自分の携帯にも彼のアドレスが入っている。
そして、一度メールアドレスを教えれば最後、朝から晩までひっきりなしに、メールがくる。
しかもどうでもいいメール。ターゲットは彼のレギュラー仲間だったのだが、
人のいい鳳はノイローゼになりかけ、パートナーの忍足は涼しい顔で放置。
宍戸はブチ切れて乱闘を起こし、跡部に至っては教えた次の日には携帯が変わっていた。
そんな惨状を見ている自分としては、出来れば卒業まで教えたくは無かった。そもそもメールは大の苦手なのだ。
そういう訳で、執拗にメールアドレスを教えろという用件でつきまとってくる彼を、無視し続けてきたのだけれど。

 「ありがとー日吉!お前優しいなー!」
 「…は?」

軽く瞠目してしまう。
必要以上に送られると迷惑で困るから、と今云ったばかりなのだが。
岳人は自分の携帯を両手で握りしめて嬉しそうに笑っている。必然的に彼に預けた彼への贈り物は歩道上に散乱している。
はあ、とその惨状に息を吐いて。携帯をポケットに収め、喜ぶ岳人を横手に、散乱しているプレゼントを回収する日吉。

 「いいですか…本当に、必要な時だけにして下さいよ」
 「分かってるって!」

帰る途中、こうして何度も釘を刺していたのだが、家路に着いて全てを済ませて時計を見て。
数十分間悩んだ末、迷いつつ最初に送信ボタンを押したのは、日吉の方だった。



誕生日、おめでとうございます。



彼から、初めての内容付きメールを岳人が受信したのは11時59分。
誕生日が終わる、最後の1分前だった。

 

□END□

恥ずかしいくらい甘いですがお誕生日ですし!