帰りのHRが終わり、教室内に再び穏やかな喧噪が戻る頃。
跳ねるように軽やかな足音が、耳に届いた。…気がした日吉がすっと視線を巡らせる。
廊下の遙か遠くから次第に近くなってくるそれは、必然的に自分の心拍数をつり上げていく。
勿論、いい意味では無く、だ。

 「ひーよーし!」

しかしそんな彼の不安を無慈悲にも上乗せするように、
ガラガラッ!と勢い良く開いたドアの正面に立つは、小柄で薄ピンクでおかっぱな1年上の先輩。
目立ち過ぎる程目立つ彼が、一体何故ここに。
無意識に日吉の眉間の皺が深くなった。彼なりに少なからず動揺しているのだ。
そんな後輩の反応をものともしない岳人が、次の言葉を放つべくすうっと口を開けた瞬間、腕を取られ廊下へと連れ出された。
日吉は岳人の腕を掴んだまま、数メートル先の廊下が折れた所に位置する踊り場付近まで黙々と歩みを進めていく。

如何なる理由があっても、これ以上クラスメイト達の視線の的になるのは耐えられない。

廊下にだって人が居るのは変わりないのだが、心理的にはこちらの方が随分マシだった。
階段を降りる生徒が居なくなったところを見計らって、振り返る。

 「…先輩、一体何なんですか」
 「それはこっちのセリフだっつーの!」

諫めるつもりが逆ギレされてしまった。
この人の行動はまったく先が見えない事はよく知っているが、今日はまた一段と輪をかけて見えない。
不可解な顔をしていると、正面の岳人が掴まれていない方の腕を伸ばし、びしっと遠慮無く人差し指を向けた。

 「今日!お前の誕生日だろ!」
 「は」

思わず変な応答をしてしまったと頭の隅で後悔したが、相手は全然気にしていないらしく、
けれどやはり怒り心頭。といった面もちで続ける。

 「長太郎から聞いたんだからな。なんで黙ってたんだよ」
 「はあ」

何故鳳が自分の生年月日を知っているのだろう。純粋な疑問がわき起こるが、
記憶をたぐっていくと、そういえば最近部員の名簿の整理を頼んだ事に思いあたった。
それでか。

 「別にわざと黙っていた訳では」
 「じゃあ何で云わなかったんだよ!」
 「聞かれなかったからですが」

瞬間、じとっと恨みがましいふたつの瞳がこちらを見る。
そもそも何故、こんな展開になっているのか皆目見当がつかない。

 「…水臭いじゃねーかよ。なんだよ。俺、長太郎に今日聞いてびっくりしたんだぞ」
 「それで何故、俺の教室に?」

今まで掴んでいた他人の腕に気づき、日吉が妙なタイミングで離すと、
岳人はそのまま腰に両手をあてて、何故か偉そうに、けれど居心地悪そうに視線を彼方へと飛ばした。
 「プレゼント!何がいーか訊きに来たんだよ」
一瞬返事に詰まった日吉だったが、咳払いで誤魔化して、
お気持ちはありがたいですが。と、会話を打ち切るようにそこで言葉を終わらせた。

 「なんで!」
 「いや、なんでって。貰う理由が無いんで」
 「でも、俺にはくれたじゃん!日吉のメアド」
 「それは…」

まあ、そうなのだが。
あの時はそうせざるを得なかったというか。
そうしなければならない気持ちになったというか。正直、自分でも良く分からないのだ。
自分がどういう心理状態で彼にメールアドレスを贈ったのか。

ただ、嫌では、無かったと思う。

云い淀む日吉を前に、岳人はどこか必死の眼差しでだから!と再び大きな声を出す。
廊下を歩く生徒達が2、3人ぱらぱらと振り仰ぎこちらを見た。その様子を横目に心の中で舌打ちする。
 「だから、俺もお前に何かプレゼントしたいんだよ。遠慮すんな!」
な?と悩める後輩の肩をぽんと叩く先輩。
なんというか、こういうところは、本当に男前だとは、思う。思うのだが。
 「…分かりました、先輩」
先程の大きな声で再び集まり始めた視線を厭うように、日吉は長めの揃った前髪を掻き上げた。
 「なに?もう欲しいもん決まった?」
云っとくけど金はあんまねーぞ!と自慢にならない事を自信満々に宣言する岳人。
とりあえず、今一番欲しいものは。

 「何もしないで下さい」

彼が希望を述べた瞬間、目の前の笑顔がそのまま綺麗に固まった。



 「…なんだっていうんだ」
レギュラー専用部室。聴き取れない程の低音で一人ごちる日吉を横目に、
隣でさくさくとユニフォームに着替えていた鳳が、そんな彼に対し不思議そうに口を開く。

 「いいじゃないか、プレゼント。あげるって云われたんだから貰ったら?痛そうだなぁそこ」
 「云っておくがこれはお前の所為だぞ」

軽く薄紫の痣になった右唇の端へ伸びてくる鳳の指を邪険に払いのけながら、日吉が不機嫌そのものな顔で睨みつける。

 「なんで俺の所為なんだよ。向日先輩怒らせたのは日吉だろ?」
 「お前があの人に俺の生年月日を教えなかったらこんな事にはならなかった」
 「あっ誕生日おめでとう」
 「………」

にこにこと人畜無害な微笑みを浮かべる副部長から目を背ける。
これ以上話をしても堂々巡りだという事を悟ったからだ。下らない。

あの後、固まった笑顔が崩れ落ちた岳人に、左拳で殴られた。
これまでだってよく乱暴された覚えはあるが(ことごとく避けてきたが)それらは全て悪ふざけの延長線上で。
利き手で思い切り、というのは初めてだったから、予測する事が出来ず、不覚にもそれを喰らった。
それだけ岳人の怒りは大きなものだったのだろう。けれど日吉にとっては理不尽な怒りそのものなのだが。

 「…どうしろっていうんだよ」
苦々しい顔で口から出る、彼らしくないそんな言葉を傍で聴く鳳が、
 「俺思うんだけど、日吉はさ、好意を受け取るのが下手なんだよ」
飄々とした様子で、あっさりと云ってのけた。
乱暴にボタンを留めていた指先が、思わず止まる。

 「好意、って…」
 「だって日吉って、相手の言葉とか行動とか、絶対裏に何かあると思って勘ぐっちゃうだろ?」
 「…それは」
 「分かってるよ、俺は気にしないし。でもそうやって勘ぐられて、線引かれて、
 いい気はしない人もいると思うんだよ。それが人一倍強いのが向日先輩なんじゃないかな」

向日先輩。
あの後、殴った張本人が一番痛そうな顔をした。
それがひどく印象的だった。走って逃げられたけれど。
 「…それに、これは日吉が一番良く知ってると思うけど」
そう前置きして、愛用のラケットを取り出しながら、チームメイトはにっこりと笑う。
 「向日先輩の好意って、裏表なんて無いし、いつも直球ストレートだよ」
日吉は結局、それについてまともな意見も返答も相槌すら打つ事も出来ず、部室に佇むだけだった。



好意なんて。
日吉は考える。というかそもそも好意とはなんだ。漠然として曖昧なそれは、一体。
彼は9月の誕生日にメールアドレスを貰ったから、今日、自分の誕生日に何かプレゼントしたい。と云ってきた。
これは好意?
けれど自分はプレゼントなんて貰う理由は無いと、
わざわざそんな事をする相手の手間や必要性の有無を考えて断った。気を遣ったつもりだった。
これは好意?
理解らない。順序立てて考えていったら余計混乱した。鳳の所為だ。あいつが、あんな事を云うから。
振り払うように意識をコートに引き戻す。自分が今必要なものはここだ。ここにある。
それなのに、思考の片隅にはあの痛そうな表情を浮かべた、小柄な先輩の姿がこびりついて、離れなかった。



軽くシャワーを浴びた後、誰も居なくなった部室に戻り制服に着替えていると、
ロッカーの隅に立て掛けてあった鞄の中から微かにくぐもったバイブ音が聴こえ、日吉が視線を落とす。
少しだけ躊躇したものの、観念したように携帯をそこから取り出した。
ぱちんと電話を開くと、メールの受信ボックスに見慣れた発信者の名前が目に入る。

 『今から行く。』

メール魔の彼にしては新記録ではないかと思う程短い本文。
読み終わった直後、ぴったりのタイミングで冬の空気を帯びた岳人が部室へ飛び込んできた。
 「さむー!」
両腕には、学園の傍にあるコンビニの名前が入った袋を抱えて。
コートとマフラーで完全防備しているものの、露出せざるを得ない頬や鼻はほのかに赤くなっている。
 「…先輩」
どういう顔をすればいいか分からない。分かるのは今自分がすごく変な顔をしているという事だ。
けれど岳人は、携帯を持ったまま呆然と立ち竦んでいる日吉の横を通り過ぎ、トンと机の上に袋を置く。
 「肉まんとあんまん買ってきたぞ。あとなんか新商品」
ホイコーローだって!と袋から出した中華まんを楽しそうに眺めていた大きな瞳は、くるっと振り返り日吉を捕らえる。

 「あったかい内に、食おうぜ」
 「………」

ちょいちょい、と掌で促された日吉は、それに従って黙ったまま岳人の隣のイスに腰掛けた。
座ったら座ったで、早く食えよ。俺あんまんとホイコーローまんだからな!それ以外な!と急かされる。
 「…今度は一体何なんですか、先輩」
必然的に残った肉まんを遠慮がちに手に取りながら、無意識にそんな事を訊いていた。
これは性分だ。この人に裏表なんて無い事、分かっている。それなのに。

 「…う、えーと。………悪かったな」
 「…?」

隣を見ると、岳人は言葉を濁しつつ、自分のズボンのポケットをごそごそと漁り、
そこから一枚の絆創膏を取り出した。何の変哲も無い絆創膏には、何故か見覚えがあった。

 「…殴って。しかもそのまま逃げて」
 「おかげで肉まんが染みます」
 「うっ、だから謝ってんじゃねーかよ」

絆創膏のセロファンを不器用な指遣いでぴっと剥がし、動くなよ、と告げられる。
直後、冷えきった指先が右頬に触れた。こんなに冷たくなるまで外に居たのだろうか。
唇の端にあてがわれたこの絆創膏は、確か薬局のおまけで、自分が昔、彼に渡した物だ。
あの頃、怪我ばかりしていたから。

 「これ、俺があげたヤツですか」
 「し、仕方ねーだろ、これしか持ってないんだから」

テニス部を引退した今。
もう、滅多に怪我なんてしないだろうに。
これしか。
云い換れば、これだけは、持っていてくれたのだろうか。

これは、好意?

 「ほんと…ごめん。せっかく、誕生日なのに、…殴ったりして」
 「いえ、忘れられない強烈な誕生日になりました」
 「…!お、お前だって悪いんだからな!あんな事云うから」

心ばかりの治療を終え満足したのか、少しだけ強気になった岳人が、回鍋肉まんを頬張りながら云い返す。
 「そうですね。俺も反省しています」
彼の気持ちを、目の前で打ち棄てるような言動をしたのだから。
好意が一体どこまで含むのかはやはり、今の自分には理解らない。
ただ、この答えを導き出すには、もう少し時間が掛かるものだとは思う。
珍しく、やけに殊勝な日吉の物云いに、思わず警戒する岳人。
この後輩の、こういう素直な反応はされ慣れていない為、なんだか困ってしまう。
 「ですから」
落ち着いた声で続けながら、日吉は机の上の、無造作に放り出してあった岳人の携帯に視線を向けて、
 「お詫びに、その中からひとつ何か下さい」
じゃらじゃら付いているカラフルなストラップの束を、指さした。
 「…へ」
何を云われたか分からず数秒程惚けていた岳人だったが、我に返って隣に座る日吉を見上げる。
 「…あれ?ちょっと待て?お前がお詫びしてんのになんで俺がお前にストラップを?…え?」
自分の携帯と日吉を交互に指さしながら考えをまとめようとするが、さっぱり訳が分からない。
わたわたと混乱しているそんな岳人を横目に、混乱に陥れた張本人が涼しい顔をしたまま口を開く。

 「携帯つながりで。プレゼントはそれでいいですよ」

耳の奥底に残る、鳳の言葉。



(日吉はさ、好意を受け取るのが下手なんだよ)



下手なのは仕方がない。
だから、努力をしていこうと思った。

 

□END□

恥ずかしいくらい甘いですがお誕生日でs(以下略