(不覚…)



日吉 若は、心持ち肩を落としていた。



氷帝学園の昼時のパン売り場は、軽く戦場と化す。

2年間在籍しているのだ。
それくらい、分かっているつもりだった。
只、自分はどちらかというと売店派では無く弁当持参派であり。
今日はたまたま家を出るのが遅く、途中コンビニエンスストアに寄る暇も無かったので。
4限目が終了してから、渋々と昼食調達に1階テラス近くのパン売り場へ直行したのであるが。

一瞬、その気迫に怯んだ。

激しく飛び交う怒号。
飛び散る千円札、大量の小銭。
順番なんて無きに等しい。カウンターに詰め寄る生徒達。

(………気持ち悪)

はっきり云って、人が大勢居る場所が嫌いな日吉である。
ここは彼にとって拷問に等しい。かといって昼食をゲットせねば午後の授業や部活に差し障る。

(…とりあえず、人が引くまで待とう)

そう決めて、さっさと窓際の長椅子に腰掛けた。
こんな人ごみの中に入っていく気なんか、サラサラ無い。
学生食堂も完備されているのだから、そこへ行けば良いのに…と自分の事を棚に上げて思ったりする。

しかし、10分もしない内に、変化は訪れた。
遠巻きに見ていると、みるみる人が捌けていくのが分かる。
売る方も買う方も慣れているのか、手際が良いのか、回転が速いのだ。
余り売店を利用しない日吉にとって、その様は見ていて少し興味深いものだった。

さて。と、腰を上げる。
大分生徒が少なくなった。
それに比例するように売れ残っているパンもごく少数になっていたが、
そんな事はさして気にならない。大勢の人の中に入っていくよりかは、売れ残りのパンを選ぶ。

しかし、
日吉はカウンターの前に立って、僅かに愕然とした。



(…不覚)
購入したパンは、サンドイッチだった。
サンドイッチは良い。どちらかといえば好物の部類である。
だが、パンに挟んである中身が問題なのだ。
日吉は、手にしたサンドイッチを嫌そうに、見下ろす。

白いパンには、ケチャップまみれの黄色い玉子焼きがサンドされていた。

日吉は、玉子が嫌いだった。

嫌いになった理由もきちんとあったりするのだが、
半ばトラウマとなっているそれを思い出すのも憚られる程、日吉は玉子が苦手なのである。

(食べられない。これは無理だ。)

…しかし売り場にはこれしか残っていなかった。
とりあえず買ってはみたが、矢張り見るのも嫌である。
一緒に買った牛乳だけで、今日は我慢するしかないか…。

教室に戻るべく、ノロノロと歩みを進めていると、

 「あー、日吉!」

聴き慣れた声に、正面からぶつかった。

顔を上げると、そこには案の定ピョンピョン飛び跳ねている岳人と、隣に忍足が佇んでいた。

 「…今日和」

軽く頭を下げると、2人はジロジロと物珍しそうに後輩を眺める。

 「なんや珍しなぁ日吉。こんなトコで会うなんて」

 「ホントだよなー、何?お前も昼飯売店で買ったのか?」

 「…はい。まぁ…」

息の合う先輩達の詮索を、言葉を濁しながら応える。
見ると、2人は輝かしい戦利品の山(=パン)を腕に抱えていた。

 「そーだ、アレだったら一緒に昼食わねー?」

岳人がナイスアイデア〜とばかりに顔を輝かせ、提案する。
思わず嫌な顔が出てしまったのだろう。忍足が日吉を見て、フ、と苦笑した。

 「あかんあかん岳人。センパイと飯食うて何が楽しいねん。なぁ日吉?」

…確かにその通りだ。
というか、自分は食事はひとりで摂りたい主義なのだ。
こんな五月蝿い人達と一緒に昼食なんて死んでも御免だ。

それなのに、忍足に指摘されると心の何処かで微かな不快感が湧き上がった。

 「…そういう訳では、無いですけど」

無意味に反発しても、この人には勝てっこ無い。
忍足はそんな日吉を細めた瞳で楽しそうに見下ろしながら、「そお?」と返す。
場の雰囲気が読めない岳人は、ひとりキャッキャと騒ぎながら、「じゃあ一緒に食おうぜ〜」と日吉の腕を引っ張った。

 「向日先輩」

クイ、と引っ張られた腕はそのままに、名を呼ぶと、

 「ん?」

と立ち止まる。こちらを見るクルクルと大きな、瞳。

 「トレード、してくれません?」

 「何を?」

玉子焼き入りサンドイッチを取り出し、岳人の前に差し出す。

 「あ!玉子焼き!オレこれすげー好き!」

 「これと、先輩の持ってるパンのどれか…あぁ、これでいいです。これと交換して下さい」

サッサと岳人の腕の中にあるメロンパンを引き抜き、代わりに自分のサンドイッチを乗せる。
一瞬、何が起こったか分からない岳人が茫然としていたが、「あ…!」とようやく声を上げた。

 「じゃ、俺はこれで失礼します」

礼をして踵を返すと、

 「日吉!バカてめーメロンパンはオレの一番大好物ー!!」

後方で岳人の叫び声と、

 「まーまー、俺のやるから」

彼を慰める忍足の声が聴こえた。



帰り道、
トレードしたメロンパンを軽く放り上げながら、

(先輩の大好物、ねぇ…)

日吉はなんとなく、彼の弱みを握った気がした。



その頃。

 「日吉ってさ、たまご食べらんねーのかな?」

逆に自分の弱みも握られた、という事も知らずに。

 

□END□

パンに抱えられてるがっくんをご想像下さい。