「なー、お前もいー加減元気出せって」
テニスコート裏で、岳人がソーダバー片手に口を開く。
「元気なら出してます。先輩こそ暇潰しに来ないで下さい」
岳人の隣、日吉もそこに屈み込んで雑草を指先で弄る。
関東大会で1回戦敗退という予期せぬ結果をつきつけられた氷帝学園テニス部。
5位決定戦にも出場できず、3年生達は対青学戦が事実上の引退試合となった。
初夏。
前評判通り、日吉は部長という役職に就いた。
跡部からの様々な引き継ぎや部員達の管理に夜遅くまで奔走した。
理想と現実は違う。
あれ程望んだ「部長」という称号に押し潰されそうになった頃、
「ひっよしー」
新生テニス部の扉を叩いたのは、引退した筈の向日岳人だった。
確かに引退しても部活にしょっちゅう顔を出す人だった。
(逆に忍足や芥川などは余り出入りしないようになった)
宍戸と連れ立ってやって来て「あーでもないこーでもない」と文句をつけては帰っていく。
鳳などは大喜びで先輩達を迎えていたが、自分はどういう顔をすればいいか分からなかった。
けれど、彼等の顔を見ると心の何処かでほっとしていたのは、事実だった。
部室でジャージに着替えていた日吉の腕を引っ張って、岳人はグイグイと扉の外へ歩いて行く。
引き摺られながらも横に居た副部長の鳳に本日のメニューを告げていくと、鳳は苦笑して手を振った。
「何なんですか、一体」
結局、連れて来られたのは準レギュラー達が使うテニスコート裏だった。
レギュラー達が使うコートや部室とは少し離れていて、やや使い勝手の悪い場所にある。
岳人はその場にペタンと体育座りの格好で座ると、チョイチョイと日吉に向けて手招きした。
「いーから座れ」
「………?」
言われるまま横に座る。
満足そうに笑った岳人は、手に持っていた白いビニール袋からガサガサと何か取り出した。
「ソーダバー、食う?」
「…要りません。これから部活なんで」
「半分コしよーぜい」
話を聞かない岳人はサッサと青色の袋を破り、パキンとアイスを2つに割った。
「ほい」
「……先輩」
「んー?」
訳が分からない。…んですけど。
突然先輩が現われたのも、ここに連れて来られたのも、2人でアイスを食うのも。
「一体何なんです?」
とりあえず簡潔に、それだけ言う。
長ったらしく質問したってこの先輩は人の話を聞かないし、意味が無いと思ったから。
岳人は練習を始めた準レギュラー達を真っ直ぐ目で追いながら、
「なんかさー、お前最近元気ねーから」
アイスを齧って、続けた。
「しんどいんじゃないかなーって思って」
「………」
サワサワと風が吹く。
岳人の切り揃えられた髪の毛が、無造作にたなびく。
「そんな事無いですよ」
嘘を吐いた。
本当は、驚いていた。
彼に見抜かれていた事を。
そんなに自分は傍から見て余裕が無かったのだろうか。
だとしたら、物凄く格好悪いところを見せていた事になる。
「先輩の、思い違いです」
「そーか?」
「そうです」
目を伏せる。
じっとこちらを見つめる岳人の眼差しを受け止められなかった。
彼の眼差しは真っ直ぐ過ぎて、全てを見抜かれそうで。
目を合わせたら、この小さな先輩に全てをぶちまけてしまいそうで。
「お前な、関東大会からずっと、休みねーじゃん」
「?」
再び岳人が、口を開く。
既にソーダバーは半分程無くなっていた。
「俺らはホラ、まあ引退しちまったけど、2年は休む暇無かっただろ?」
お前とか、樺地とか、鳳とか。と、その時のレギュラー達の名を指折って唱える。
「特にお前は部長とかゆー厄介なもんになっちまったし、だいぶストレス溜まってんじゃね?」
ニ、と意地悪く笑う。
「厄介なもん」という表現が彼らしい。
「…まぁ、テニスする時間は減りましたね、テニス部の部長なのに」
「だろ!?跡部も言ってたもん!まーアイツは色んな意味で例外だけどさ」
外気で溶け始めたアイスに口をつける。
サリサリと柔らかな感触と共に、口内の温度が徐々に下がっていった。
隣に座る先輩は、えーっと、つまりー…、と何故か彼らしくなく次の言葉を捜している。
「だから、たまには息抜きも必要、って事を、言いたくてだな、うん」
僅かに顔を上げて、隣を見る。
すると彼は少しだけ照れ臭そうに、口を尖らせていた。
「…心配してくれてるんですか?もしかして」
「なんかお前放っとけねーんだもん。要領悪くって」
「………要領悪く見えますか、俺」
「うん」
力強く頷いてくれる彼の、顔を上げるタイミングを見計らって。
キスした。
じわり。とソーダの味がする。
「………」
「本当に要領悪い人はこんな事しませんよ」
固まったままの岳人にニッコリと微笑んで、残りのアイスを片付ける。
「………」
「心配してくれて有難う御座います。本当は少し、しんどかったんで」
グ、と両膝に力を入れて立ち上がる。
部活の開始時間を大幅に遅刻してしまった。
「………」
「いい息抜きになりました。良かったらまた誘って下さい」
丁寧に礼をして、その場を去る。
岳人はまだ、固まったままだった。
「日吉ー!!!」
そしてそんな絶叫が何処からともなく聞こえたのは、
日吉が正レギュラーのコートに足を踏み入れた、直後だった。
□END□
ファーストキスはソーダの味。