は、性感帯なのだと 何処かで聴いた事が ある。



艶やかな黒髪。
瞳を伏せてより強調される、長い睫毛。
整えられた鼻筋と、平均よりやや薄めの唇。

まるでつくりもののような。

急に疑わしくなって、つい口許へ手を翳してしまった。

 「…?なんだ?」

ス、と視線がこちらに流れる。
眼鏡という隔たりがあるにも関わらず、彼の視線の矢はいつも鋭い。

 「…いや、何でも」

まるで、息をしていないみたいだったから。

なんて応えても、常識人の彼には通じないだろう。言葉を濁す。

彼―――手塚は少しだけ訝しむような表情をしてから、
しかしすぐに関心を机上のノートに戻した。書きかけの部誌だ。

 「乾」

シャープペンを走らせながら、手塚が名前を呼ぶ。

 「ん?」

机を挟んだ正面の、長椅子で手製のノートを捲ったまま応えた。

誰も居ない部室。
2人を照らす蛍光灯の明りが、何となく如何わしく。

 「もう少し時間がかかるが、構わないか?」

伏し目がちの彼にそう問われて、別にいいよと即答した。

青学テニス部の部誌は基本的に部長がつける事になっている。
何らかの理由でそれが出来ない場合は、副部長や他3年生が替わりにつける。
部活はほとんど毎日行われるから、部長はそれこそ毎日部誌を記さねばならない。
内容はというと、本日の日付、天候からメニュー、反省点に至るまでで、大体それを1日1頁にまとめる。
それほど大変、という訳でもないが、それでも毎日居残りをして部誌を記す。結構労力を費やす仕事だ。
手塚は部長として与えられたその任務を黙々とこなしていく。

部長というのは、部員の目の見えない場所で多くの雑用をこなす役職なのだ。

そして自分はというと、その部長と今後のレギュラー達の練習メニューの相談をする為、ここに居る。

この春、久々にレギュラー落ちしたものの、それほどショックは大きくなかった。
落ちたらまた、這い上がればいい。更に努力をすればいいだけだ。ただそれだけの事である。
それに自分はレギュラー達のコーチ役としての腕を部長に買われているから、落ち込んでいる暇など無かった。

片肘をついたまま、正面の手塚を茫と眺める。
3年間、この顔を見てきた。それなのに、何時まで経っても飽きない。

(美人は3日見たら飽きるというが…)

それは嘘だな、と心の隅で思った。

サラサラと、紙面に書き付けていく。
ペンを持つその指先の形すらも、綺麗で。



そう。

だから、

思わず、悪戯心が湧き上がったのだ。



 「手塚」

 「なんだ」

顔を上げる事もせず、声だけで返事をする。
ひとつの事に集中すると、彼は途端に周囲が見えなくなる。

だから。

ノートの上に乗せていた右手をひょいと取り上げ、
驚いて見上げるであろうその仕種が来る前に―――その指先に口づけた。

 「…乾?」

反射的に離れようとする手塚。
しかし利き腕では無いそれは、余り強い力が入らない。

嫌がる右手をしっかりと両手で掴んで、
そろそろと唇を指先から手の甲へと、辿ってゆく。

 「…な、に……」

突然の事態に何が何だか分からないのだろう。
予め予測している事には完璧に対応出来る。
けれどこういう不測の事態にはとても弱い。
それが手塚という人間だ。

 「知ってる?」

 「……、?」

手の甲へ伝っていった唇を動かすと、僅かに右手が震えた。
そのまま再び指先の方へ戻る。さっきは人差し指。次は中指。

 「手は、性感帯なんだそうだよ」

 「………」

 「即ち感じ易いトコロ。分かる?」

唇を素肌につけながら、囁く。
中指の先端、そこに弱く噛みついて。

ぺろり。

 「…………ッ、ん…」

舌でなぞった。

無意識に出てしまったのであろう、その声に。
手塚は物凄く不本意そうに眉を顰め、こちらを睨みつけた。

 「…いぬ、い……離せ…」

 「気持ち良くない?」

中指から、薬指。
今度は舌で移動する。濡れた感触が嫌なのか、手塚が身体を竦ませる。

 「止めろ…!」

薬指まで這わせた舌を、今度は掌に移動させた。
柔らかい肌の感触。手の甲よりも掌の方がきっと。

 「……ッ…ふ…」

感じ易いのだろう。

ピチャ。と、音を立てて強くそこに口づけて。
手塚はそれでも何とか逃がれようと、強引に手を戻そうとする。
左手に持っていたペンがその衝撃でカシャン、と床に落下した。

震える息。
小指を口に含み、舌全体を使って舐める。
ビクリ、と揺れる身体。眼鏡の向こう、必死に耐える手塚が見える。

 「手塚」

 「………」

無言。
それを否定ととればいいのか。
それを肯定ととればいいのか。

分からなくて、口許だけで静かに笑った。





ふいに湧き起こった悪戯心。

という名の、欲望。

本気になれば、止められる筈。
抵抗すれば、逃げれられる筈。





小刻みに震える右手。
小指から時間を掛けてゆっくりと、手首まで舌で撫ぞる。

 「…いぬ、い………」

 「ちゃんと云わないと、止めてあげないよ」

 「…っ、………」

 「ずっと、このままだ」

別に、意地悪をしたい訳じゃないのだけれど。


偶に、本当に偶に苛つく時がある。


何も言わないで。
そんな表情して。

それで自分の気持ちを理解ってもらおうだなんて、それは。





それは驕りなのではないだろうか。





 「どうする?手塚」





だから、云わせたい。
彼の願いを、望みを。

想いを。





 「どうして欲しい?」





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落ちる