めがね(breathless改題)



廃棄された空教室。
まるで伽藍堂のような領域。
四角く切り取られた黴臭い空間に断続的に響く、その場に似つかわしくない、濡れた音。

 「ほんと〜だって、あん時俺部活中だったんだよ」

軽薄な甘い声が、耳を打つ。

 「いやマジマジ。信じてくれよ〜ミカちゃーん」

不規則に並べられた机の群れ。
その一つに腰を掛け、仁王は手にした携帯に向かって嘘で塗り固めた言葉を吐いていく。

最も、この男に真実味なんて欠片も無いのだけれど。

仁王の脚に従順に跪いている男、柳生はただ静かにそんな事を思っていた。
彼は今、同級生であり、同じテニス部に属し、ダブルスまで組んでいる男の制服のズボンを寛げ、
淡々とその中心を口と舌を使い奉仕している最中である。
しかし彼の姿などまるで見えていないように、仁王は掌にある電話に集中していた。

 「今度絶対埋め合わせするからさ、だから機嫌直してくんないかな〜」

ヌル、
舌を這わせて。

ピ、チャ。
唾液に絡めて。

眉一つ動かす事無く、ただその行為をこなしていく柳生の髪の毛を、仁王の掌が戯れにゆる、と撫でた。

 「…あぁ、ホントだよ。俺が愛してんのはミカちゃんだけ」

口に含んだ仁王自身は刺激によって次第に質量を増していく。
その、熱の篭った声で。

嘘ばかり。
嘘ばかり吐いて。

掛かったままの楕円眼鏡が、自分の吐息でうっすらと白く曇っていく。
さぞかし滑稽であろうその姿を見下ろしながら、仁王が口の端を歪めて笑っている。

 「…うん、じゃあ。好きだよ、ミカちゃん」

電話口に囁くような低音で告白。ようやく通話が切れたらしい。髪の毛を撫でていた手が急に乱暴な動きに変貌した。
ぎり、と髪を鷲掴んで、無理矢理顔を上げさせられた柳生の表情は、まるで感情など持ち合わせていないかのように見える。

 「…どんだけやっても巧くなんねーなー」

くすり。
嘲笑混じりのソレを聞いても、柳生はただ黙って舌を伸ばす。

口の端から伝う唾液の感触が、不快だった。

 「柳生チャン、」

自分の吐く熱い吐息が、不快で仕方無かった。

仁王は自分の足元に蹲っている男の髪を掴みながら、ゆっくりと上体を前に倒していく。

 「…眼鏡に掛けていい?」

耳許に落ちてきた言葉の意味を噛み砕く暇も無く、グイっと強引に咥えていたものが引き離される。
その衝撃で唇からツ…、と透明な液体が、シャツにたわんでだらしない速度で落ちた。

 「……ッ?!」

ブレた視界で捉えた映像は、目の前で自分自身を扱く仁王の姿。彼が纏う凄絶な艶に、上手く視線を外す事が出来ない。
口での愛撫で既に立ち上がっていたソレは二度、三度掌で強く上下に擦りつけるという刺激だけで、ドクッ…と白濁の液体をその先端から迸らせた。

白い、飛沫。

認識するより早く、それはボタボタと柳生の顔に飛び散る。
前髪から眼鏡、頬の辺りを白い液体に汚されて、一呼吸の間が教室を包む。そうして柳生はようやく口を開いた。

 「…最悪ですね」

はあ、と溜息を吐いて短くそれだけ云うと、不承不承眼鏡を外す。
常に携帯しているのであろう制服のポケットから取り出したウエットティッシュでレンズについた男の残滓を拭き取っていった。

 「顔にもついてんぞー」

汚した張本人が呑気に云えば、

 「時間が経つと取れ難くなるんですよ、レンズは」

ピシャリとそんな言葉が返ってきた。
しかしコレは…丸々水洗いの方がいいかもしれない。けれどそうすれば金具が痛むか…。
黙々と考えながら眼鏡を拭く柳生。何時の間にか床に正座という格好になっている。
姿勢の正しさと顔に付着している精液のギャップに思わず仁王は吹き出しそうになった。
(なんつーか、やったのは自分だけど、生々しー。)

 「やぎゅ〜顔もちゃんと拭いて〜。俺ハズカシイ」

きゃ、と乙女のポーズを取る仁王に一瞥をくれてやりながら、柳生は云われた通り顔を丹念に拭っていく。

 「恥ずかしいなら最初からしないで頂きたい」
 「でもやらしくてイ〜かなと思ってさ」
 「御期待に添えましたか?」
 「いや、やっぱ柳生だった」

全然ヨくねぇー。とか何とか呟きながら、仁王がだらしなく降りていた下着とズボンを力無く引き上げる。

 「酷い云われ様ですね」

机から降りた仁王を追うように、柳生もその場に立ち上がる。
寂れた教室の端に無造作に置かれている、二人分の荷物。部活はもう始まってしまっただろうか。
柳生が左手首に巻かれた時計に視線をそっと落とし、時刻を確認した。まだ間に合いそうだ。

 「んな事云っても、俺の事スキなんだろ?柳生は」

生温く薄い笑みと共にそう云ってやると、自分の前、背中越しに立つ柳生の後ろ姿が、

 「ええ、そうですよ」

あっさりと答える。

 「スキでスキで仕方ない?」

こんな酷い扱いを受けても。

 「好きで仕方ありませんね」

例え振り向いてくれなくても。

 「柳生ってキモい。マゾ」
 「自覚してますので」

パリパリになってしまった前髪を指先で厭いながら、そっけなく返して、スタスタと二人分の荷物を取りに行った。
ぽりぽりと首筋を掻きつつ、仁王はぼんやりとその背中を追う。
本当に、俺なんかのドコがいいのだろう。
こういう誘いにはノる癖に(何度やらせても下手くそだけど)、けして見返りを求める訳でも無い。
桁外れに頭のいい眼鏡の考える事はさっぱり分からん。

あ。
これが、

 「紙一重」

ってヤツなのかもしれない。

 「?何か云いましたか?」
 「…いや、なんも」
 「急ぎましょう、仁王くん。部活が始まってしまいます」

荷物を手渡されながら、仁王は心持ち顔を上げ、これまでに何度も口にした言葉を試しに舌に乗せてみた。

 「アイしてるよ」

なんて嘘臭い言葉。
自分で云っておいてその安っぽさに笑いが込み上げてきた。

 「アイしてるよ、柳生」

それでも繰り返す。

『愛せなくてごめんね。』

それは逆説的な意味を持つ言葉となって、正面の男を攻撃するという事実を理解していながら、それでも。
黙ったままその告白を受けていた柳生だったが、視線を外し、すっと踵を返し建て付けの悪い扉に手を掛けた。

 「私も愛してますよ」

見てくれなくても。
触れてくれなくても。
愛してくれなくても。

そう、眩暈がする程。





息すら出来ない程に。





■了■

 

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初書き28。あの眼鏡にぶっかけたい!(仁王が)
という意気込みだけで書きました。あと柳生はMっこです。