わがまま
どんなワガママも聞いて。
ぐだぐだに俺を甘やかしてよ?
貴方にはついていけない。
と、過去に付き合ってた女に云われた。
いくら何でもわがままが過ぎるわ。
と、昔付き合ってた女に云われた。
「いい加減にして」
そして。
現在付き合っている(あ、もう過去形にした方がいいかも)女に、低い声音でもってそう告げられた。
「雅治、私をお手伝いさんか何かと勘違いしてる」
「…は?」
肩を震わす彼女の云った言葉がいまいち理解出来なかったので、馬鹿正直に訊き返す。
今思えば胡乱な反応の仕方をしてしまったと思う。
自分にとっては両手に余りある数をこなしてきた別れのシーンであるが、彼女にとっては一世一代の名シーンなのだ。
瞬間、
パンッ、
と乾いた音。同時に左頬が鈍く熱く痛む。
「いつもあれしてこれしてって、何様だって云ってんの!あんたのわがまま、ちょっと病的よ!?」
あー。
ぶたれたのか。
「私は、ちゃんと対等に付き合いたかったの。こんなんじゃ、ただの奴隷だわ」
サヨナラ。
鼻声でそう云い捨てて、そして彼女は教室を出ていった。
パタパタと、廊下を駆け抜ける音が次第に小さくなっていくのを確認して、ようやく張られた頬に手をあてる。
「…ってぇな」
微妙にショックだ。
別れを告げられた事が、では無い。どうせ自分は飽きっぽい性格だからいつも半年と持たないし。
そうではなくて。自分の我侭が原因で別れるケースが最近特に増えてきているからだった。
以前はそれなりに自分の欠点について真剣に考えたものだったが、最近ではそんな事、考えるのも無駄な気がして放り出していた。
(それが今回の破局に繋がった訳だが)
しかし病的、とまで云われる程スケールアップしていたのか、俺の我侭は。これは由々しき事である。
心当たりが、無い事は無いのだ。
やる気の無い溜め息をひとつ吐いて、部室に向かう為踵を返す。
完全に大遅刻だ。真田の野郎にまた怒鳴られるのかと思うと心底嫌気が差した。けれど。
きっとあの男は黙って待ってる。
そう思った途端、動き出そうとした足がぴたりと止まった。
「やぎゅー」
部室の扉を開けた途端名を呼ばれ、聴き慣れた声に顔を上げれば、
そこには待ち構えていた男がだらしなく、部屋の隅のパイプ椅子に座っている姿が視界に入る。
左の頬が赤い。
醒めた顔で眼鏡を押し上げ、ラケットを持ち直す。少しだけ怒りを含んだ声で云ってやる。
「ここで何をやっているんですか。もう部活は終了しましたよ」
彼の云う通り、部員達は早々に帰ってしまっていた。
しばらく仁王を待っていた柳生だったが、何時まで経っても現れないダブルスパートナーを諦め、コートに入った。
その結果として彼を待っていた時間分、部活を終える時間が遅くなってしまったのだ。
「ごめん」
全く悪びれた様子も無く謝罪の言葉を向けられても、こちらとしては反論する気も起こらない。
仁王は結局部活を無断で休んだ。
真田の声を聴きたく無かったのが主な理由だが、その後部活が終了する時間を見計らって部室に来て、彼を待っていた。
「柳生に逢いたかったんだよ」
「ならば4時30分にこちらに来て下さい。必ず逢えますから」
抑揚の無い声で撥ね付けるように返す。
そのまま眼鏡を外し、さっさとユニフォームを脱いでいく柳生の、その白い背中を眺めながら、
「柳生、」
もう一度、名前を呼んだ。
「何ですか」
バサッ、とシャツを羽織る乾いた音。パイプ椅子の上の部分に頬杖を付いた仁王が、ゆっくりと口を開く。
「プリン食べたい」
ちいさなわがまま。
柳生は無言でボタンを留めていく。何も云われない事を良い事に、仁王は更に言葉を続けた。
「学校前のコンビニにー新商品が2、3個入ったんだけどーそれが食べたい。クリーム乗ってるやつ」
相手は尚も黙ったままだ。
部活を勝手に休んだ事を、怒っているのだろうか。
仁王も黙って彼の後ろ姿を眺め、静かに動向を窺う。
拒絶。
されるだろうか。
今度ばかりはいくら何でも。
不安と期待。
無意識に、痛む頬を指でそっと撫でた。
さあ、どう出る。
カチャ、
眼鏡に触れる音が室内に小さく響く。
視線を上げると、制服に着替えた柳生が財布を小脇に抱え、腕時計を嵌めているところだった。
「10分程待って頂けますか」
拒絶。
「すぐ戻ります」
するんじゃないのか。
自分の脇をすり抜け、部室の扉のノブを当たり前のように回す。
勢い良く立ち上がった拍子に、椅子が倒れる。柳生が僅かに驚いて、こちらを振り返る。
外に出ていこうとするその手を、気が付けば、その手首を、
「…仁王くん?」
掴んで、乱暴に、引き寄せていた。
「どうして…」
どうして。
突然襲った強い力に引っ張られ、柳生の身体が不自然に蹌踉めいたが、
彼は咄嗟に横にあったロッカーに手をつき、身体を反転させて転倒を避けた。
「どうして断らないんだよ」
「…?」
訳が分からない、というような表情をされ、無性に腹が立った。こっちの方が訳が分からない。どうして。
「なんで俺の云う事聞くんだ」
ガシャン、と。
柳生の顔を挟むように、ロッカーに両手をついた。ギ、と鈍い金属音が生じる。
自分よりも僅かに背の高い男は相変わらず感情の乏しい顔で、その言動を黙って見下ろしている。
「私は、仁王くんの事が好きですから」
「知ってるよ」
何遍この告白を聞いたと思ってるんだ。
「ですから、貴方の云う事は全て聞いてあげたいと思うのです」
何故今になってそんな事を訊くのだろうと、柳生は不思議そうな顔で、至極当然な事のように述べる。
ああ、多分。
仁王は漠然と悟った。
多分、このままこいつと居たら駄目になる。
自分の我侭が酷くなったのは、こいつが居たからだ。
何でも云う事聞いてくれて、許してくれて、そんな心地良い環境を自分に提供してくれて。
それに甘んじていた自分も馬鹿だが、柳生も大馬鹿だ。
この関係、元々どうしようもないモンだったけど、更にひどくなってんじゃねぇの。
「お前は俺をどうしたいんだ…?」
尋ねながら口の端が歪んだ。嘲笑か?否、自嘲だ。
このままいったら自分は、柳生だけしか受け付けなくなる。要らなくなる。
柳生を、必要としてしまう。
自分が握っているとばかり思っていた主導権の行方は、何時の間にか柳生の手に渡ろうとしている。
そう思った瞬間、背中に嫌な汗が伝った。そんな自分を気取られたくなくて、認めたくなくて必死で虚勢を張る。
何時の間にか。
立場は着実に、逆転しつつあったのか?
「…俺は、お前の事なんて好きじゃない」
「知っています」
何遍この返答を聞いたと思っているのか。
仁王が俯く。そのまま柳生の首筋に顔を埋める。
細やかな銀髪が揺れて、柳生の首筋にサラサラとそれは落ちて、その感触に僅かに肩をすくめた。
何故彼が突然怒り出したのか、柳生には理解らなかった。いつものように云われたから、いつものように買いに行こうとしたのに。
何処か自分に至らぬ点があったのだろうか。それならば教えて欲しい。彼の望むよう改善したいと思う。
「…仁王くん?」
名を呼ぶが、俯いたまま黙っている彼からの返事は、無い。
「仁王くん」
背中にあたるロッカーの、制服越しに伝わるヒヤリとした金属の感触が、より一層不安を掻き立てる。
それでも柳生は、彼の名前を呼ぶしかなかった。
身体はこんなにも近いのに、彼の考えている事が、全然理解らない。互いの心が、全然通じない。
「仁王くん」
それでも答えを探るように、柳生は何度も彼の名前を呼び続けた。
■了■
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徐々に仁王→柳生の関係へ。
気づいた瞬間、一気に足許を救われる。