昼休み



相も変わらず、柳生は孤独だ。



昼食時間。
奴のクラスを横切る度に、自分の中のどういった気まぐれが働くのか知らないが、
一緒に飯を食おうとか云って誘い出してしまう。そりゃ俺だって他の連中との付き合いもあるから10回に1度の割合だけど。
とりあえず今日は、その気まぐれが働いてしまった日。という訳だ。
何時でも何処でも何云われても無表情の柳生は、誘われるまま弁当箱の入った包みを片手に、
声を掛けられる寸前まで読んでいた文庫本を小脇に抱え、素直に俺の後ろをついてくる。
この男にしてみれば昼食は一人で摂っても二人で摂っても変わりは無いんだろうけど、
教室の隅でポツンと独り弁当を広げるあの姿はどうも頂けない。あのポツン感は俺にとってかなりの天敵なのだ。

柳生は俺よりデカいクセに、俺の庇護欲(っていうんだっけ?)をかき立てる。

 「屋上でいーか?」
 「お任せしますよ」

一任されたので、予定通り屋上に続く階段を一段抜かしで上っていく。
かつて「立入禁止」と書かれていたのであろう錆び付いたプレートは、積もった埃と共に扉の横に打ち棄てられていた。
ギイ、と扉を開ければ降ってくる白い日差しが軽く目を灼く。いい天気で良かった。
心持ち嬉しくなって、左手にぶらさげていたコンビニのビニール袋を軽く揺らしながら先へ進んだ。

適当な場所へ腰を下ろして柳生とご飯。なんて。
あーなんかすごい不毛な感じがする。どうせなら彼女と来るべきスポットだろうに。
ナイススティックにかじりつきながら、まだ見ぬ彼女と二人楽しく昼飯を囲んでいるイメージ画像を脳内で繰り広げていると、
隣に座っていた非彼女・何の変哲もない七三眼鏡男柳生が突然口を開いた。

 「ブン太くん」
 「んあ?」
 「もしかして昼食はそれだけですか?」

真面目な顔付きで、奴は俺の顔をじ、と見つめる。

 「や、他にも色んなパン、買ってきたけど。何?お前も欲しいの?」

タダじゃーやんねーぞと云うと要りませんよと速攻返された。

 「もう少し栄養のバランスを考えて食事をした方がいいです」

云いながら自分の弁当からニ、三品選り分けて俺の方へと差し出す。
あ。ブリの照り焼きとか超美味そうなんだけど。

 「宜しければどうぞ。手をつけていませんから」
 「うお、マジで?!」

嬉しー!柳生サンキュー!とか食べ物に釣られ阿呆丸出しの反応をする俺を横目に、
柳生は礼には及びません。と抑揚の無い、小さな声で呟いた。
こういう気遣いも出来るのに、なんで皆分かんないのかなー…否。こいつが分かろうとしないのか。

人間ってフクザツだ。

脂の乗ったブリの欠片を頬張りながら、そんな事を俺は思っていた。



 「…でさ、ジャッカルあいつほんと馬鹿でさ、」

部活仲間の他愛も無い馬鹿話を先程から延々喋り続けている俺だが、はっきりいって現状としては独り言に近いものになっている。

間が大嫌いなのだ。個人的に。

自分と相手の間に退屈とか気まずい、とかいう雰囲気を滑り込ませたくない為、俺はだらだらと下らない話を垂れ流す。
が、柳生にとってはそんな俺の面白トークすら読書のBGMにしやがるのだった。

 「…つーか俺の話聞いてんのかよ!」
 「聞こえてますよ。ジャッカルくんが先の実力テストで赤点を取ったのでしょう」

更に正確過ぎる程理解してるし。ならこっち向けっつうの。
…まあ、いつもの事だから別にいいんだけど。
話すのもタルくなってきたので、気分転換に制服のポケットから丸い色付きガムを取り出した。
これは最近のお気に入りだ。ケースから二粒出して、隣で読書している柳生に渡そうと手を伸ばす。
が、「結構です」とすげなく返された。更に「ブン太くん、校内では昼食以外の飲食は禁止ですよ」と固い説教のオマケ付きで。

 「はーい、今度からもうしません」

ていうかもう柳生にはガムあげません。
全く気のない返事をして、さっさとガムを口の中に放り込む。
柳生がやれやれ…と膝に乗せている、開いた文庫本のページを捲り上げる。

お互い、フェンスに背中を預けて、俺はフーセンガム作りに専念し、柳生は読書にいそしむ。
結局いつも最終的には、二人でいると昼休みの潰し方はこうなる。
ガムを膨らませながら、何の気無くフと視線を巡らせれば、生真面目な表情で文庫本に視線を落としている横顔。
眉一つ動かさないでも読める本ってすごいつまらなそうなんだけど。
やっぱそれは読者が柳生だからだろうか。作者に非は無いのかも。

 「何ですか?」

くいっ、と人指し指で文庫本の背表紙部分を持ち上げたら、
突然の行動に対応出来なかったのか、柳生は僅かに驚いた様子で訊いてきた。

 「や。何読んでんのかなーって…あ、俺このヒト知ってる」

森なんたら(漢字読めねぇ)という作者。確か半年くらい前、柳生が持ってたのを斜め読みしたんだっけ?

 「俺、Fになるで挫折したんだよなあ」

難解な単語の嵐で、最初の3ページで本を放り投げた気がする。
どうやら柳生はその続編らしきものを読んでいるらしかった。

 「まぁ、本格ミステリと云ってしまうにはやや癖がありますからね。最初は読み難いかもしれません」

パラリ、とページを捲る乾燥した音がやけに耳に馴染む。柳生の長い指に紙面が絡む瞬間を見るのは、わりと好きだ。

時間にして一呼吸。
その間の後に、隣の男はぽつ、と呟いた。

 「仁王くんはこの作者の本だけ読むのですよ」

仁王くん。
柳生が名を呼ぶ時に、微かな感情が宿る、唯一の名前。

 「理数系が得意な方には、面白いのかもしれませんね」

楕円の眼鏡の奥に潜む、何の感情も映さない瞳が少しだけ穏やかに細められる。

嗚呼、なんて分かり易い。

 「…柳生さあ」

石床に投げ出していた両膝を引き戻し、体育座りの格好になった。その上に自分の顎を乗せる。

 「まだ、仁王の事好きなの?」
 「好きですよ」

まるで数式の解答を指名されて答えるような、決然とした返事。
または予め用意されている解答を口に出したような。そんな感じ。
膨らませていたガムから、中途半端にしゅるしゅる息を抜いていく。

馬鹿な柳生は二年前からずっと仁王の事を想い続けている。らしい。
笑っちゃう程報われない恋。を、ばく進中なのだ。それに俺が気付いたのは半年くらい前。
さっきみたいにストレートに訊いたらやっぱり柳生は今みたいに答えた。何の迷いも無く、好きですよ。と。

 「…見込み無くても?」
 「ええ」

紙面に置かれていた指が、無造作に眼鏡のブリッジ部分をス、と持ち上げる。

 「振り向いてもらえなくても?」
 「そうですね」
 「…柳生ってマゾ」

思わず口から本音が漏れてしまったが、柳生はそれを受けて、

 「仁王くんにも云われました」

少しだけ苦笑した。

 「…。」

フェンスにもたれていた背中が緩慢なスピードでズリ落ちる。
わー。なんかもう、グダグダじゃん。つか仁王の野郎こいつの気持ち知ってんじゃん。何なんだよこいつら。

 「…お、お、俺、女の子紹介してやろっか…」

緩く混乱している頭で、とりあえず最良だと考え判断した言葉を投げ掛けてみる。

 「お気持ちだけで充分です」

けれども隣の男は不可解な表情(きっと精一杯の柔和な笑顔系?)を口許に浮かべ、誘いを丁寧に辞退する。

 「……柳生、は、女の子好きになった事ある?」

ザリ、と戯れに上履きの爪先で石床の砂を摺った。
何訊いてんだ俺。馬鹿か俺。ジャッカルの事笑えねーじゃねえかオイ。しかもなんでこんな心臓ばくばく云ってんの。

 「いえ」
 「じゃ初恋って…」
 「仁王くんです」

口の中のガムが変な味に変わった。柳生の返答は俺の味覚までオカシクする程強力だった。
(…ひ〜………す、救われねぇ)
超救われなさ過ぎる。いや、別に俺には関係無いし、こういうのって当人同士の問題だし、他人が口を挟む事じゃないし。

だけど。
でも。

柳生の矢印は常にあいつに向けられてるけど、あいつからは絶対こっちに向けられる事はないだろう。
間違ってもあの最低最悪詐欺男が柳生を好きになるなんて…有り得ない。
そんな不毛な恋なのに。それなのに柳生はあいつを好きだと云う。ただひたすらに。

あわれだ。

 「…いっこ訊いてもいいか?」
 「何ですか?」
 「仁王のどこがそんなに好きな訳?」

シャープな楕円眼鏡の奥、余り感情の振れない瞳が一瞬微かに揺れる。

 「…訊いてどうするんです?」

質問を質問で返されて、少しだけ躊躇った。本当だ。訊いてどうするというのだろう。
ていうか何で俺はそんな事訊きたいと思ってしまってるんだろう。

 「…それもそーだな」

もぞり、と両腕を回して、折り畳んだ膝を抱え直した。

 「ゼンゲンテッカイだ。忘れろ柳生」
 「では、そうします」

柳生は無機質な声で応えた後、俺に向けていた視線を再び膝の上の文庫本に戻した。
ペラリ。何事も無かったかのようにその指は少し日焼けたページを捲っていく。

 「…ブン太くん」

唐突に名前を呼ばれ、瞳だけを声のした方向に動かした。

 「お心遣い、痛み入ります」

じわり。
耳が熱くなる。

 「お前の事なんて別に気にかけてねぇよ」

誤魔化すように味気無いガムを噛み締め、捨てるように言葉を投げ付けた。

 「おや、私の自惚れでしたか」

それは失礼。と、小声で一人ごちる柳生。むかつく。
握っていたと思っていた会話の主導権は、何時の間にか奴の掌に渡っていたみたいだ。

なんで。
なんで、報われなくて苦しんでるのは、柳生の筈なのに。
なんで俺の方がこんなに苦しいんだ。何なんだ一体。こういう苦しさって伝染するもんなのかな。

 「前も云ったけどさ、俺さ、仁王の事あんま好きじゃねえんだ」

ボソリ。と呟く。
柳生が少しだけ興味を示したのか、さっき俺がしたみたいに、瞳だけでこちらを見た。
途端なぜか思わず申し訳無くなってしまい、合わないっつーか、と言葉を濁してみる。

 「でもさ、仁王の事が好きな柳生は、もっと好きじゃねえ」

自分で云っててまるで意味不明。理解不能。そして軽く襲った自己嫌悪。
まるで子どもの我侭みたいな俺の言葉を、柳生は物音立てずに聴いている。
サワサワと柔らかな風が髪の毛を揺らしたけど、膝に顔を埋める俺にはどうでもいい事だった。

結局自分は。
仁王に、柳生を獲られるのが嫌だったんじゃないか。
お気に入りのオモチャを獲られるみたいで嫌だったんじゃないか。
そんなちっぽけな独占欲の発露。つき詰めて考えてみれば、そういう事だ。

 「…って事に、気づいた。今」
 「それは、不快な思いをさせてしまって、申し訳ありません」

パタン。
本を閉じる軽い音が耳を掠める。

 「…きっと私は、ブン太くんに嫌われ続けてしまうのでしょうね」
 「…」
 「それでも、矢張り好きなのですよ」
 「…」
 「仁王くんの事が、好きなんです」
 「…」

タイミングを見計らったように、昼休み終了の鐘が響き渡る。
けれど、俺も柳生も、黙ったままだった。
階下では生徒達のざわめく音が聞こえてくる。まるで別世界のような喧噪。

そんな中俺は。

仁王の顔は今日一日見たくないな。てな事を、ただ漠然と思っていた。


口の中のガムは、何時までも不味いままだった。





■了■

 

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見ないフリが出来ないブン太の苦悩。