詐欺師と紳士



 「どうよ柳生ー見事にそっくりじゃねえ?」
 「…そうですね」

夏の宵、とはいえ夜も幾分更けた頃。
人気の無くなった、がらんとした部室。
二人して、居残ってそこで何をしているのかというと。

 「眼鏡貸して。…ってお前もそっくりだなー!」

所在無く持っていた眼鏡を奪われ、手際良くそれを掛けた仁王がゲラゲラと笑う。外見は柳生比呂士そのもので。

 「…私の顔でそういう下品な笑い方をするのはやめて下さい、仁王くん」

対する柳生も、髪の色を変え、付け毛をつけられ、外見は仁王雅治そのもので苦々しく呟いた。



翌日に控えた関東大会決勝戦。

普通に勝つだけじゃつまらない。
どうせ勝つなら皆をド派手に騙してみたいと思わねぇ?

と、悪魔のような笑みと共にそう持ちかけてきたダブルスパートナーは、
反対される事など微塵も思っていないのだろう、確信の色をその両眸に滲ませていた。
仁王が柳生に。
柳生が仁王に。
入れ替わったまま試合をして、途中で真実をバラし、相手を混乱に陥れる。

馬鹿馬鹿しい計画だ。

嬉々として話す仁王の顔を眺めながら、柳生は冷静にそんな事を思っていた。
一体それで。

 「それで私達にどういった利点が生まれるというのです」

尋ねれば、仁王はあっさり、

 「んなもんどーでもいんだよ。要はさ、」

楽しけりゃいいんだ。
と、寸分の悪気も無く云ってのけた。

 「相手の愕然!とした顔が見てー訳。頭の固い柳生ちゃんには、理解出来ない?」

そんなアソビ。
切長の瞳を細め、からかうように問い掛ける仁王の顔を、じっと見つめたまま。

 「…貴方がやりたいのなら、どんな事にだってつき合いますよ」

感情の欠落した声で、そう応えた。

どんな事にだってついていく。
どんな事を云われたって従ってしまう。

きっと、これが。
惚れた弱味というものなのだろう。

 「さすが相棒」

だからスキだぜ。と、相手が笑う。
その言葉に真実など欠片も含まれていない事など、百も承知だった。
それでも、尚。



 「やーぎゅーう、世界入ってんなって」

重苦しい思考に耽っていた頭の後ろを軽くド突かれ、ようやく我に返る。
今の衝撃で乱れた髪を直しながら振り返ると、意地の悪い顔をした自分が居た。

 「真面目にやりたまえ、仁王クン?」

自分の、顔をした彼が、形の良い唇を歪め、笑って云うのだ。まるで悪い夢でも見ているような、そんな現実。

 「………ぁ、えぇ」

妙な気分に陥った。
落ち着かなくて、無意識に眼鏡のブリッジを上げようと、伸ばした中指は空を掻く。
その光景を見ていた仁王が、プッと吹き出した。

 「何をやってるんですか?貴方は眼鏡なんて掛けていないでしょう」

くすくすと可笑しそうに笑いながら一歩一歩距離を縮め、表情など全く作れていない仁王に扮した柳生を、柳生の肩を強く押す。

グラ、と。

突然の衝撃に頼りなく揺れた長身は、しかし何とか壁に片手をつく事で転倒から免れた。

 「…っ、仁王くん、」

悪戯にしては悪意あるそれに思わず名を呼ぶが、目の前に佇むのは不気味な程そっくりな、自分の姿。
その時、僅かに壁から滑った掌を見逃す事無く、仁王は柳生の肩に押し付けていた指先にじわりと力を込めていく。

 「…っ、!」

ズル、と冷たい壁の感触が背中から首の後ろ、そして後頭部に上昇していった。
その感覚と反比例で床に落下し崩れ落ちる身体。その上に、仁王がゆっくりと乗り上げる。
否、今は柳生の姿だけれど。

 「自分に組み敷かれる気分はどーですかー?」

無邪気にそう云って笑う、表情豊かな自分の顔を嫌悪するように見上げ、柳生は呟く。

 「そういう貴方こそ、自分を押し倒す気分は如何ですか?」

折角苦心して立ち上げた髪の毛が台無しだ…と、今現在この場面にふさわしくない事を頭の片隅で思いながら。

 「気分?結構新鮮かもしれませんねえ。つかそういうプレイもアリかも」

顎に手をあて、何事かを考えるような仕草で応える仁王は、完璧に柳生の癖を模倣する事に成功していた。
自分で見ていても、気味が悪い程。
(さすが詐欺師、を騙るだけの事はある)
最も、自分は「つか」などと云う砕けた言葉は使用しないのだが。そこは修正してもらわねば。
組み敷かれながらも淡々と生真面目にそんな事を考えていた柳生の耳朶を、唐突に上に乗っている仁王が引っ張った。

 「…っつ、」

思わず眉を顰めれば、顔を近付けた仁王の、眼鏡の奥に潜む瞳が不穏な笑みを浮かべている。

 「柳生、きちんと俺に化けてみ」

きつく抓んだ耳に吐息だけで囁いて。上体を倒し、ゆるゆると鼻先を近付けていく。
唇が触れそうな程、近い近い距離を保ちながら。
けして彼はキスなどしない。
それなのに。まるで誘うように、微かに自身の唇を舌で濡らした。

苦しい。

 「…全く。ワタシに組み敷かれるのがそんなにイイんですか?」

素敵な趣味ですねー。
思い切り見下げた視線を瞳に乗せて、柳生の姿をした仁王が嗤う。

戯れに。
付け毛に絡む指は。
うなじから首筋に。
そうして顎を伝って。

 「…やめろ、」

吐き捨てるように、絞り出すようにそれだけ。

 「…やめろ。俺は男に乗られる趣味はねぇんだよ」

口に出せば、身体の奥底から酷い悪寒が湧き上がってくる気がした。

彼はあんなにも完璧に自分を演じきっているのに。
自分は、
まるで不完全な自分は、自分を傷付けているだけのようで。

苦しかった。

口汚い言葉を放ってしまった直後、いたたまれなくて視線を逸らすと、伸びてきた両掌に音も無く、優しく頬を包まれる。

 「…?」
 「よくできましたー」

ゆるゆると頬を撫でる仁王。
そして彼の唇は笑みの形のまま、組み敷いている男の薄い瞼の上に落ちていく。

 「柳生ちゃん、いいこ。」

じわり。
羞恥心と自己嫌悪と不快感と、
どうしようもない愛しさで、心臓がおかしくなりそうだった。

詐欺師の操る戯れ言は今日も完璧だ。
そうして紳士はまた彼の罠に掛かる。飽きもせず、諦めもせずに。





■了■

 

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入れ替わりプレイは正直萌える。