ご褒美
押し倒して泣いて抱いてと懇願して。
「…いい加減にして下さい」
凛とした低音が、頭上から降ってくる。
「なにが?」
意味が分からなかったので、素直に尋ねてみる。
柳生が壊れた。
何が切っ掛けとなったのか今となってはどうでもいい事だが、きっと自分が、踏んではいけない彼の地雷を踏んだのだろう。
静かに激昂した柳生に乱暴に押し倒された仁王は、先程から淡々と、冷えた頭でそんな事を考えている。
「…私は、貴方の、何なのですか」
まるで二流ドラマの安っぽい台詞みたいな質問。普段ならけして語らないであろう、柳生の本心。
無機質の固い床が、背中に痛い。
のしかかった柳生の身体が酷く熱い。
「その質問に、意味あんの?」
穏やかに訊いてやると、俯いてこちらを見つめている眼鏡越しの眼差しが、微かに惑った。
「意味なんて、」
この男にしては珍しく云い淀むようにして言葉を切り、そして息を継いで、
「そもそも私達の関係にだって、意味なんて何も無いでしょう…?」
口許だけで、薄く笑った。
人あたりが良く、冷静沈着な紳士がこういう笑みを浮かべるのは好かん、と仁王は思う。
こういう笑い方をするのは、俺だけで間に合っている。つーか、論点すり替わってるし、床に擦れた髪の毛が痛いし。
「柳生、論点ズレてるぞ」
「そんな事はどうでもいいのです」
仁王を押さえ付けている柳生は、独りごちるように呟く。
「いや良くねーだろ」
眼鏡の奥、彼の感情を宿した瞳はレンズに遮られ上手く見えない。
「私は、貴方の玩具では無いんです」
論点が奇跡的に戻った。
何というか、頭の良い奴はやはり自分達とは何処か構造が違うのだろう。
感情的になっても、破綻しても、きっと脳の片隅では冷静に物事を判断する力が働いているのだ。
「おもちゃ、」
仁王が復唱する。何と無く、その語感が気に入ったからだ。
「私は、」
両掌を、仁王の頭の両側の床に押し付けて、柳生は彼を閉じ込める檻を作った。
身長、体重共に仁王よりも柳生の方が僅差だが勝っている。
お互いそれを知っている為、仁王は無駄な体力を使いたくないから逃げないし、
柳生も彼のそういう思考を事前に予測しているから、過度な拘束は行わない。
「私は、人間です。貴方と同じように血が流れ、呼吸もする。痛みだって感じるし、嬉しければ笑う」
感情の乏しい容貌でこちらの顔を見下ろしながら、言葉を紡いでいく。
珍しく饒舌に弁を振るう彼は、軽く息継ぎをした後、更に言葉を続けた。
「貴方が…私の事を露程も思っていないという事も、分かっています。それでもいいんです。私はそれだけで良かったんです」
例え振り向いてくれなくても。
想うだけで、それだけで良かった。
それなのに。
「…それなのに貴方は…何故その気も無いのに私に近付くんです。私に構うのですか」
柳生の前髪が、緩くほつれてスルリと俯いた額に落ちていく。
時代外れのセットが崩れた、頼りなく柔いその髪に、指先で触れる。
彼の髪の感触は、割合好きな部類に入るのだ。
「…先程も云いましたが、私は人間です。そんな風に、貴方は戯れに触るが…それだけで私がどんなに……」
「感じる?」
驚いて仁王の顔に視線を落とせば、彼は何時もの人を食ったような、少し毒を含んだ緩い笑みを浮かべ、こちらを見上げていた。
「何かさっきから小難しい言葉並べたてて色々云ってるけどさァ、つまり感じたんだろー?」
「…っ、」
咄嗟に投げ返す言葉が見付からない。
対する仁王は、その静かな動揺を見極めているのか、彼の身体に組み敷かれたまま、のんびりと云ってのけた。
「俺に、触られて」
「…」
「気持ち良かった?」
「…」
柳生は顔を上げず、項垂れた格好のまま、仁王の耳許へゆるゆると近付いてくる。
「…貴方のせいです」
間近で呟かれた声は、少しだけ掠れて、柳生のクセに艶っぽい。と仁王は思った。
「貴方のせいで私は、望んではいけない、分不相応なものまで望み始めてしまった」
骨張った、白く大きな掌が、恐る恐る仁王の頬を撫でていく。輪郭を、仁王の形を掌に馴染ませていく。
「貴方が欲しいと、」
けれど仁王は微動だにしない。
神経質な指先の行方を、冷めた頭で、肌に滑り落ちてくる感触で辿っている。
「思ってしまった」
醜い本音が。
浅ましい感情が。
とうとう吐き出されてしまった。
頭の片隅で客観的なもう一人の自分が、眉を顰めこの場面を眺めている。
けれど、もう、どうする事も出来なかった。
ここまできてしまった以上、最早後には退けない。
「俺が欲しい、か。イイねそれ」
ふ、と鼻で笑う仁王。
そして視線は傍でじっと彼の事を見つめている、柳生の瞳へ。
「柳生、俺を抱きたい?」
「分かりません」
「じゃあ俺に抱かれたい」
「…分かりません」
「でも、俺が欲しいんだろ?」
「欲しいです」
頬に触れていた指をそっと離して、柳生は伏し目がちにポツリと肯定する。
押し倒して
泣いて
抱いてと
懇願すれば
彼はそうしてくれるだろうか
胸の奥底、汚れた部分で叶いもしない願いに縋る。
けれどそんな事は絶対に無理だと分かっているから。
「すんげー殺し文句、云ってくれたご褒美」
出口の無い袋小路的思考から唐突に現実へと引き戻す、甘さを含んだ、声。
仁王が顔を上げて、優しく笑顔を向けると、そのまま柳生の首に両腕を廻した。
きつくきつく抱き締められて。
耳許に、温い吐息がじっとり染み入る。
「お前相手じゃ、勃たねーよ」
二人だけしか聴き取る事の出来ない小さな小さな声でそう告げて。
仁王はそのまま柳生の白い耳朶に緩く噛みついた。
その柔らかな舌に侵されながら、しかし柳生は顔を上げない。
「…貴方という人は……本当に………」
微かに震える身体を持て余し、自分の下の仁王を抱き締めるだけだった。抱き締めるしかなかった。
無理だと分かっている。
分かっているから。
せめて今だけ。
今だけ。
■了■
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受に押し倒される攻という構図がとても好きです…。
仁王の台詞は反転で。しょんぼりする事必至ですので任意でどうぞ。